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『笹原常与詩集 晩年』 出版されました


 笹原常与の第4詩集、『笹原常与詩集 晩年』が七月堂より出版されました。

 たずさわれました皆様、出版おめでとうございます!

 
 以下、七月堂の案内文のリンクです。

  http://www.shichigatsudo.co.jp/info.php?category=publication&id=sasahara_bannen

 あと笹原常与略年譜が書かれてあるのがありがたいです。

 多くの方に手にとっていただけますようお祈り申し上げます。


地図(或るメモランダム) [詩]





   地図(或るメモランダム)



 僕はどう考えてみても、僕が今通ってきた街が実在の

街のようには思えない。別の、まったく別の世界を歩い

てきたように思われる。

 一体、僕らが何の気なしに話題にのせる共通の「街」

あるいは疑いもなく「在る」と思っている「街」は、僕

らが信じているようなものとしてそこに「在る」のかど

うかすこぶる疑わしいものだと思う。共通の「街」を話

しながら、その時、話している者達はそれぞれ全く別の

「街」を話し、別々の世界へ出発しているのだ。

 僕は今、人影の全くないひっそりした通りを通ってき

た。けれども実際は人通りがあったに違いないと思われ

る。僕には見えなかっただけかも知れない。僕にはただ、

そこを通っていた人々の誰もが、同じその「街」を通り

ながらしかし実はそれぞれめいめいの街、僕が通ってき

た「街」とも違う全く別のそのものだけの世界を、その

時通っていたとしか思えない。僕にとっては乾いた路だ

ったが、或る者にとってはそれは濡れた路、水たまりに

空が映っている路なのだ。

 つまり僕が通ってきたのは僕だけの「その街」だった

のだ。だからそこを通ってきた僕には、いかに人通りが

あったとしても、その通りは人影が全くなく、ひっそり

していたという記憶しか残っていない。

 涼しい初夏の陰の中に立っている電話ボックスの傍を

通る時、そこへ入っていった者はもう再び同じ姿では出

てくることがないような不安に、僕はしばしばおそわれ

る。そして事実、僕は電話ボックスの外で長い時間辛抱

強く待ってみたが、彼はとうとう出てはこなかった。僕

不安になってガラス越しにボックスの中をのぞいて見

たが、入った筈の彼はすでにそこにはいなかった。中は

がらんとしていた。

僕の探索心は彼の行方を、彼が入っていった世界をつ

きとめようとした。僕は受話機をはずし、彼を呼び出

そうと努めた。しかし何度やり直しても呼び出すこと

が出来たのは僕の世界でしかなかった。



 僕は今、街を通りぬけたはずれに在るコーヒー店の

片隅に腰をおろし、通ってきたばかりの街を眺めてい

る。透きとおるガラス戸をとおしてここから見る街は、

ひっそりと全体の形を整えている。そしてにぎやかな

人通りが見え、かえって、実際はここまで聞こえてく

るはずのない話し声や笑い声などが手にとるようにき

こえてくる気がする。

 けれども再びその街の中へ入っていくと、その街は

もう「その街」でなくなり、人声も笑い声も消えた音

のない僕だけの世界に変るのだ。街角はどのような意

味に於ても静止した街角としても、限定された距離と

しても、もはやそこにはない。それは際限もなく奥深

い世界の入口として立っているのだ。そこを通り過ぎる

人々によってどのような距離にも、どのような広さに

も変容するのだ。

 だから僕には、それが例えどんなに小さな街であって

も、一生かかってなお歩きつくせないということがあっ

てもいいと思えるし、また、そこへ入って行った者が一

日中待ってみても帰ってこないといったことがあっても

決して不思議なことであるとは思えない。僕らは連れだ

って歩いていた者が、突然見えなくなってしまったとい

う経験さえ持ち合わせている。

 彼は長い石塀に沿って歩いているうちにか、街角を曲

るひょうしに吹いてきたそよ風によってかは知らず、と

もかくもそこから深い世界へ入って行って姿を消したの

だ。

 彼の世界が深ければ深い程、或いはまた、その街につ

いこの彼の記憶が遠ければ遠い程、彼はその世界から容

易に帰って来ることが不可能になるのだ。





                     (未完)













  「罌粟」第2号 1959年3月20日発行





   
タグ:罌粟 地図

 [詩]





   牛



何千年も前から 牛はうなじをのばし

ぽつんと草を食べている

水溜りの底からのぞいている 自分の顔を飲もうとしている



地平の方から押しよせて

またひいていった季節 季節も

それを消すことはできなかった

ゴムまりのように彼の「生」は

先へ先へ 青空の果てへ

わきめもふらず 草の上をころがって行ってしまった

そうして牛はいつも

地平のこっちのがらんとした原っぱに残された



もしかしたらそれは 屠殺された牛

青空でいくらこすっても消えない影

人間の空腹の底へ いくら連れ去ろうとしても

前脚をふんばって動かなかった

曳かれていった牛の「生」がふみ脱いでいった「飢え」かも知れぬ



彼の澄んだ聴覚は風のそよぎの底にひらき

彼の食欲は 原っぱを隅から隅まで食いつめていった

絨氈を端からまるめてゆくように



柵などというけちなものはとっくに消化してしまった

柵の向うのかこいのない広さも

広さの果ての地平線も

地平線の上にのっかっていた空も

太陽まで舌の上で溶し 唾液をいっしょにすべらせて

飲み込んでしまった



だがいくら食べても

牛の腹には広い原っぱがある

消化しきれないはてしない空腹のように

誰も遊びに来ない地平線がひろがっている

その上にそっと 深い空がおりている



牛のつぶらなまなこが

面とむかってのぞきこんでいるのは

とめどなく遠い空腹だ

牛は永久に飢えているのだ

きりのないよだれをたらし



そうしてさらに 牛は

反芻しながらゆったりと移動する

飢えの方へ











   「罌粟」創刊号 1959年 1月20日発行



タグ:罌粟 飢え

あたたかさ・純粋さ   (その5) [評論 等]





 「私の見ているものは、知恵と本能と神へ

の目覚めの中で苦悩する自分自身の心です。

どんなにそれが非情であっても見つめること

によってしか詩は生まれない。」(あとがき)

塔氏は自分の眼を精いっぱい開き、すべての

ものに全身で対している。と言える。私達

は、とりわけ私などはある年数にわたって詩

を書いてきた結果として、ものそのものにじ

かにむかい合いそこから得た直接的な感動に

もとずいてひたむきに作詩する態度をとかく

忘れてしまい、ありあわせの知識にもとずい

て通りいっぺんの作品を書いてしまいがちな

のだが、塔氏にはそのような弛緩した態度は

見られない。そして塔氏の見つめることのひ

たむきの底には、それを支えるものとして

の精神の強靭さがひそんでいる。





 すべての汚れの中の

 汚れない意志

 それは

 作ることのできないもの

 作った形では感じられないもの

 作ったものにはないもの

 より純粋に生きたものから咲いた花



         (「生きたものから」部分)





を捉えようと志す強固な「意志」

がひめられている。

 こういう塔氏の態度は、あたかも「一匹の

蜘蛛」が、蝶やトンボや蜂やその他、自己の

世界を通過するすべてのものを見逃さずに捉

えようとし、その為に自己の分身たる「繊細

な糸」を世界に張りめぐらし、そうして捕え

た一切のもの一切の現実を美醜にかかわらず

摂取し「胃の腑の中で消化させ」、それらを

養分として現実を捉えるための網目を更に一

層ひろげてゆく営みーーそのような「孤独な

作業」を続けているのに似ている。

 塔氏の作品に関して触れておきたいことが

もう一つある。それは表現の適確さとイメー

ジの燈明さ、新鮮さということである。引用

した作品からもそれは充分にうかがえると思

うが、次に幾つかの例をあげておく。





 叢の中で

 虫達は私の歩巾だけ移動する

 海の上にさざめく太陽と

 彼方の島影は

 ひとつの律動の中に溶け入り

 夏の入口で

 森の木々達は微笑みゆれていたのに

 そばへ行ってよく見ると

 それらはただ突っ立っている木



         ーー「夏」部分





 私は透明な意志の立体だ

 肥大していた皮膚は

 ないでゆく海のようになだらかになり

 血膿のしたたりは沈没した船みたいに

 膿盆の底で凝固する

 いつもそこで

 私は

 生きる力を約束されるのだ



        ーー「人体」部分





 それでも

 盲いた人は

 水たまりのあることさえ気付かず

 全く無頓着に歩いていた

 思い思いの

 心の深さをうつして

 不思議で

 危険な水たまりがあった

        ーー「水溜り」部分





 深く燈明なイメージを持つこれらの詩句

は、塔氏のものを見る眼の確かさ、世界につ

いての洞察の深さを表している。











 「詩学」 1969(S44)年 12月号



あたたかさ・純粋さ   (その4) [評論 等]





塔和子詩集「分身」自家版

 この詩集もまた土屋氏の詩集と共に、私が

今月読んだ二十冊程の詩集の中で最も感銘を

受けたものであった。この詩集には七十一篇

の詩が収められているが、一篇々々が新鮮

で、それぞれ独自の詩世界を展開しており渋

滞することがない。





   言葉の糸



 私は

 太陽の下でうけとめた現実をたべて

 胃の腑の中で消化させたものから

 おもむろに繊細な糸を吐く一匹の蜘蛛

 なにに向かってなにを毒し

 なにを浄化しなければならないという悲壮な希いはない

 ただありのままの私を吐露するだけだ

 私は言いたい言葉の中にだけ現れる

 私の吐き出す言葉の糸から

 不信を見るのも真実を見るのも

 あなたの目の底にある鏡の作用にかかっている

 私はただ

 あなたの鏡の反射で

 突然光る一本の糸をのこしておきたい

 あなたがどんなに無視しようとしても

 立ち止まらざるを得ないほど

 あなたをとらえる一本の糸を

 そのためにのみ

 孤独な作業をくりかえす

 まことに小さい

 一匹の蜘蛛





 七十一篇作品がとり扱っている素材は多

岐にわたっているが、塔氏の詩の主題は「存

在」についての究明と「言葉」に関する探索

という二点に要約することが出来るように思

う。「存在」究明の範疇には当然のことながら

自己の生死に関する問題が含まれているし、

自己の生死にかかわるものとして自然や、愛

の問題が見据えられている。「存在」や「言

葉」に関する探索、究明がライトモチイフに

なっているという点で、塔氏の詩は形而上的

傾向を有するが、しかし塔氏の詩世界は形而

上的特質を持ちつつそれらの傾向の詩がおち

いりがちな観念過剰の弊害からまぬがれてい

る。それは塔氏が世界、現実、存在等に関し

て一定の観念や見方をあらかじめ用意しそれ

らを手がかりとして対象を選びとってくる、

という態度を持たない、むしろそれとは逆

に、「現実をたべ」すべての現実を「うけと

め」、そして「消化させ」るという本来的な

詩人の態度を堅持しているがためなのであ

る。更に言えば、塔氏の形而上的傾向は「な

にを浄化しなければならないという悲壮な希

い」をあらかじめ用意することによって得ら

れたものではなく、あらゆるものを「胃の腑

の中で消化させ」そして「ただありのままの

私を吐露する」という氏の詩的営みが、究極

に於てもたらした特質なのである。

 念のため触れておきたいが、「なにを浄化

しなければならないという悲壮な希いはな

い」「ただありのままの私を吐露する」とい

うことは、決して詩的営みを自然発生的なも

のとして見ているのではないし、あらゆる

「私」を無自覚的に容認しているのでもな

い。「私は云いたい言葉の中にだけ現れる」

というストイックな詩句とてらし合わせてそ

れは考えられるべきであろう。











 以下、その5へ続きます。





あたたかさ・純粋さ   (その3) [評論 等]





    ある日



 片町線の放出(はなでん)駅で 白い杖をついた小学四、五

年生位の子供が電車に乗ろうとしている 妹ら

しい子が目の見えない兄の手を引いて何やらこ

まごまと注意している この兄は この世に生

れてきて やさしい母の顔も たくましい父の

姿も 愛らしい妹の目も 明るい風景も なに

ひとつ見ることが出来ない やがて電車が発車

しようとしている この子の電車は きれいな

きれいな花をつんでいる。ぼくはこの電車をみ

たとき ぼくの体から げじげじが落ていった





 土屋氏の眼は対象にむかうと同時により深

く自分自身にむかう。土屋氏は、すべてのも

のを自己にかかわらせ、自分の魂を傷つける

ことなしには見ることも言うこともできな

い。土屋氏の作品が持つ特有の羞恥や人間的

あたたかさは、そこから生れてくるのであろ

うし、人間に関する素朴ではあるがゆるぎの

ない批評性もまた、これらの上に築かれたも

のだ。最後にもう一篇、土屋氏の作品を紹介

しておこう。





    ハト



 びっこの

 ハトがいる

 このハトをみて笑わぬ人は

 一人もありません 

 ハトは

 かなしい目で

 びっこの姿を 

 みつめている











 以下、その4へ続きます。



タグ:ハト ある日

あたたかさ・純粋さ   (その2) [評論 等]





    母



 ながいながい病気のとき かあちゃんはあたい

 にしょっちゅう言うた とうちゃんの言うこと

 よおく聞くんやで あたいが二年生になって

 桜の花が散るように かあちゃんは死んだ あ

 たいの手えとって 杏子 かあちゃんおらんか

 て 淋しがらんと気丈夫にもって とうちゃん

 の言うようにすんのやで あたらしいかあちゃ

 ん来たかて おかあちゃん おかあちゃん 言

 うて可愛がられるんやで



  しろい箱に入って
  
  おかあちゃんがゆく





 ここにうたわれている「おかあちゃん」は

次の詩に見られる「おかちゃん」のイメージ

に重なり、おそらくそのような女の生涯を生

きてきたのであろう。





 おかちゃんは明治四十三年九月二十日に生まれた

 農家の女ばかりの三人の二番目であった

 おかちゃんは両親の願いもむなしく

 片目で生れた

 両親は不便を感じたが仕方のないことであった

 おかちゃんは汽車にのった

 おかちゃんはかなしい汽車にのって走る

 ポッポーと一人ぼっちで走る

 レールはきまって一本しかない

 さびしい風景をみいみい走る



          (「おかちゃん」部分)





 これらの詩に限らず、土屋氏は博労や老婆

や屠殺される牛、乞食、老いた母、子供達、

びっこのハト、百姓、片目の女、盲目の子

供、労働者といったたぐいの人々を、ほとん

どこれらの人々だけをうたっている。しかも

そこには、政治的・思想的観点からして無理

にもこれらの人々をうたおう、うたわねばな

らないとするような作為的態度はみられな

い。これらの人々に対するいつくしみは、ほ

とんど土屋氏の生得のものであるように思わ

れる。生得のものであることはしかし、人間把

握、人間理解に於ける氏の無思想を意味しな

いし、人間把握に於ける土屋氏の政治的・社

会的な無自覚ないしは無関心を意味しない。

むしろ土屋氏は自分の生いたちや環境とのか

かわりの中で、人間に関する社会的・政治的

関心を次第に深めていき、深めていく経過で

生得の感受性はその本来的な姿をいよいよ明

らかにしていった、とみるべきだろうと私は思う。

 繰り返して言えば、土屋氏の作品に現われ

る人間は、例外なく貧しく、不幸であり、そ

の生き方は平凡である。そして土屋氏の彼ら

を捉える捉え方は、見かけ上決して政治的で

も階級的でもない。しかし氏の作品が私達の

心にもたらす感銘は、これらの人々のありよ

うや生き方を深く考えさせ、考えさせること

を通じて、究極に於て私達の関心を政治の問

題や社会の問題にむかわせるのである。例え

ば、





個としての各人が抱きこんでいる現実

の状況といったものも、各人によって異なる

ものであるから、自らが自らを変革していか

ねばならないということである。自ら始める

ということは、自己に還元していく消極的な

ものでなく、対他者に対して攻撃性を持った

自己変革が必要である。それは言葉の衝撃に

よる自己意識の変革である。



          (御沢昌弘詩集「胎児」あとがき)





、といった類の「思考」

が、書き手の主観に於ていかに「意識」的で

あり「衝撃」的であろうと、所詮は、生きた

「現実の状況」から遊離した地点で行われる

観念の中だけの操作であり、「言葉」による

こしらえものであることによって、私達の心

に定着することができないのとは反対に、土

屋氏の作品に現れる人間たちは私達の心に

永く住みつき、私達をしてそれぞれの自己変

革へと地道にむかわせる。











 以下、その3へ続きます。



あたたかさ・純粋さ   (その1) [評論 等]





   あたたかさ・純粋さ



土屋五郎詩集『さむさむ』(地帯社刊)

 詩誌「銀河手帖」の別冊詩集の一冊とし

てこの詩集は刊行された。同誌が刊行しそし

て私が今迄に読んだ別冊詩集は、総じて感銘

深いものが多かったが、土屋氏の詩集もま

た、生活する人間の汗と体臭と体温に培われ

た人間的なあたたかさを湛えている点で、読

む者の心に感銘を与える。

 現代詩は質的にさまざまな傾向をたどり、

表現技法も多岐にわたっているが、第一級の

作品は、つづめて言えば、作品の根底に人間

的な温かさを湛えているものである。心の温

かさは人間の純粋な魂にかかわりを持ち、そ

こから生じきたる。「才能」というものが文

学に必要であるとするならば、「才能」とは

人間の持つ純粋さであり、その多寡を言

うのであろう。心のあたたかさとか魂の純粋

さを言う場合、これらに関する本質規定が一

方ではやかましい問題になるだろうが、しか

し心のあたたかさとか純粋さとかいったもの

は、難解な抽象語の授用を得て初めて解明さ

れるような性質のものではなかろう。もっと

単純で明解なまぎれようのない心の働きであ

り、私達の胸に直接つたわってくるものであ

るだろう。





   にじ

 

 この街はにじの街

 街角に立っていると

 沢山の人々がぼくに

 にじをみせてくれる

 くつみがのおばちゃんが

 動いているカニを売っているおっちゃんが

 地下タビ姿のハチマキのあんちゃんが

 道路掃除のおっちゃんが

 日焼けした黒い顔で

 節くれの両手で

 尊いにじを売ってくれる

 ぼくはにじを買いに

 よくここに来ます





 ここにうたわれている「にじ」は、沢山の

人々がにじを見せてくれるという見方で人間

を捉えることのできる作者の心の美しさが、

何よりもよく表われている点で美しいのであ

る。人々が「尊いにじを売ってくれる」の

は、とりもなおさず、作者が「にじ」を買う

ことのできる心を持っているからにほかなら

ない。土屋氏は「尊いにじを売ってくれる」

沢山の人々の例として、つつましく働きそし

て「日焼けした黒い顔」をした人々をあげて

いる。そういう人々を対象とする点でこの詩

集は一貫している。











 以下、その2へ続きます。

   「詩学」 1969(S44)年 12月号



現代的と伝統的   (その5) [評論 等]





 右の二詩集の他に今月私が読んだもののう

ちでは、稲田さき子詩集「まち」と堀正幸詩

集「ブリキ屋の歌」に注目した。なお二、三

カ月前に読んで論評したいと考えたものに若

林肇詩集「地の傷」があった。これらの詩集

についても具体的に論評すべき責任を私は持

っているが、今月も紙幅をなくしてしまっ

った。そこで佳作名を挙げ、それぞれの詩集から

一篇ずつ引用し紹介することで私の責任の一端を

果したい。

 稲田さき子詩集……「わたしたちは神を持

たない」「蝶について」「ベトナムのうた」「母

のゆめ」「母に」「鳥の報告」「埋葬」「象」「落

日「地平の村」「象」「黒人兵のためのレク

イエム」

 堀正幸詩集……「がんがんや」「夏・はり

つけ」「夏・だんだら」「屋根のうえの夏」

「秋」「朝の掌」「この顔が」「墜ちる」「伊吹

山」「尻尾を噛む」

 若林肇詩集……「ぶどうの葉」「帰ってく

るもの」「地の傷」「春の堤」「果樹の憩」「屋

上」「五月」





   埋葬

             稲田さき子



 三昧屋への道は遠く

 真昼だというのにそのあたりは

 なぜか紫色にけむって

 墓掘り人は

 昔土葬したひとの骨と歯が

 くわのあいだからこぼれ落ちたと

 声高にはなした

 野辺送りのひとびとはそのために

 少し列をくずし

 あたりはいっそう紫色にけむった

 一年病んで死んだ母の骨は

 もろくくだけて

 あ この骨は

 すぐ大地にもどるだろう

 それから赤く

 やっぱりまんじゅしゃげは咲いた

 母のいなくなった家に

 もう産まれてくる子は居ず

 キラキラ光る滅亡の頂点で

 老いた父がゆっくりと

 子守唄をうたう





 夏・はりつけ

            堀正幸



 ぼくは

 まいにち 磔にされる

 トタン板と 太陽のひかりに挟まれて

 うしろから 灼きつけてくる太陽

 まえから はね返ってくる太陽

 今日トタン屋根のうえで

 太陽を 消してやった

 コールタールで 

 そのとき

 ぼくの影が消え

 ぼくも消えてしまった





  五月

             若林肇



 風に吹かれて

 あなたたちはむこうへいく

 髪を両手でおさえ

 しなやかに背をそらせ

 ふりかえりしな笑顔をみせて

 いつもこう五月は

 彗星のように近づいてきては

 おとめたちを連れ去る

 季節のすすみに

 おいていかれた大人たちが

 何かしきりに言いあっている。











   「詩学」 1969(S44)年 10・11月合併号



現代的と伝統的   (その4) [評論 等]





 深沢忠孝詩集「溶岩台地」(思潮社刊)





 浪振り 浪切る比札ふりて

 風振り 浪切る比札ふりて

 奥津鏡 辺津鏡に祈り

 渡り来し人々の記憶

 ことごとく奮いし王権の祭式



      (「伊豆志袁登売」冒頭)





 この作品のはじめには「天之日矛持渡来物

者、王津宝云而、珠二貫。……云々」という

「応神記」の一節が引用されている。一体、

現代に生きる私達がこのような言葉を用いて

表現しなければならない必然性がどこにあろ

うか。私は怠惰であるけれども一応は国文学

を専攻してきたし、現在も古文に触れる機会

は比較的多い。しかし右の言葉を十全に理解

することができない。概要はわかっても生き

たもの魂のかよいあうものとしては理解でき

ない。現代詩が一々注解を必要としたりある

いは一部の専門家や知識人に理解されるだけ

でよいわけはなく、そうである以上言葉は誰

にでもわかるものである方がいい。だいいち

作者自身原典に依拠したり調べたりして、こ

ういう表現を手に入れるのだろう。そうだと

すれば自己の感動と表現との間にすき間が生

ずる。

 深沢氏にしても三井氏にしても、伝統的な

ものへの志向、それの再確認及び伝統の正し

い継承と発展にこそ願目があるのであろう。

そのことは正しい。しかし伝統の継承とはこ

のようなものであろうか。あっていいだろう

か。言葉の問題に即して言えば、このような

言語表現を必然としたその時々の民族の血や

汗や涙や笑いそのもの、つまり言葉の内実を

みたしている生活感情や思考にこそ眼をむけ

それを批判的に継承すべきであろう。それは

古語の援用によらずとも、現代語によって充

分になし得る。

 深沢氏の作品のうち右のような作品はむし

ろ例外的なものであって、総じてこの詩集に

収録された作品は優れている。「独楽」「雨」

「上高地で」「稜線で」「溶岩台地」「野うさ

ぎ(1)」「同(2)」「春」「蝶」「列車」「埋葬」「仔

うさぎ」等の作品には、作者のものを見る眼

の深さが感じられ、作者の魂は美しく澄んで

いる。





   蝶



 その稲妻型のとびかたに ぼくは

 賛成しかねる

 それが神の摂理だ としても

 青い風吹く廃墟で

 ぼくの背丈ほどしか舞いあがらない

 開ききらない花に

 重たげに羽を休めて

 やがて
 
 もとの方角に悄れていく

 蝶





 深沢氏は「あとがき」で「最近の関心が古

代から日本の心、妣の国(・・・)へと向っている」と

書いているが、深沢氏の日本の心は、右に挙げ

た作品や次のような詩句の中でこそ質高く

結実するのではないか。





 ざざんぼう ざざんぼう

 父や母もそうだったーー同じく こうして雨にうたれて

 歴史の向うから 孤独を

 背負ってやってきたにちがいない



                 (「雨」部分)











 以下、その5へ続きます。



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