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カレーの市民 [詩集 井戸]


   カレーの市民


雨はむこうから降ってきた

雨はまだ濡れない世界とのけじめを

はっきりつけながら

しだいに 降り進んできた



「カレーの市民」たちは

今すませてきたばかりの離別の姿で

出発を前にして一歩を踏み出しかねたまま

かたまって立ちつくしていた

雨は やがて

「カレーの市民」たちにたどりつき

彼らの眼を それから眼の中の空を

そうして彼らのかたまり全体を

しぶきの中に降りこめていった

彼らのうしろに人影のように

色濃く立ちつくしていた離別もまた

こぼれもせずに 濡れていた



彼らの頬くぼ 深い眼くぼ 澄みきった聴覚

そして彼らの鼻先を

雨しずくが細く伝い

彼らの一塊りは 口をむすんだまま

ひっそりと立っていた



やがてわたしは

降りつづく雨の中に

かすかな気配をきいた

彼ら六人が生きかえる姿を

雨の中に見たのだ



出発一瞬前の姿のまま停止していた彼らの姿態が

音もなくほぐれて

ふたたび動きはじめた

うつむいていた者は ふっと顔をあげ

(その時 おちくぼんだ彼の眼の中にも

 細い雨が 筋をひいて映っていた)

重そうに垂れていた手は

忘れかけた血のぬくみを思い出して動きはじめ

やがて 静かに顔をぬぐい

離別にむかってふりかえっていた者は

これからのことをはっきりと見定めるために

歩みゆく前方にむかってゆっくり顔をもどし

視点をすえた

彼らのすべてが

生を通って行く「歩む男(ル・パッサン)」の姿をとりもどしたのだ



雨はやがて先へと降り進んでいった

カレーの市民たちもまた

かこいの柵のあい間をくぐり抜けると

人影のない路にしめった影をおとしながら

雨の中を通り 雨と共に歩み去っていった

足音は雨あしに消され

彼らの足どりは静かに

しかし決してためらうことなく歩み去っていった



わたしは雨に降り残されて

彼らの発ち去る後姿を見とどけていた

そしてわたしは わたしの中からも

何者かがわたしのかこいをまたいで

雨を共に発ち去っていったのを感じていた



長い間離別のふちにためらって立ちつくしていたわたしを

そこに置いて

雨と共に去っていった

「歩む男(ル・パッサン)」のいたことを感じていた



ひとしきり降りつづいた雨

そしてやがて降り過ぎていった雨だった

カレーの市民たちが去ったあとの台座を

彼らのうしろで考えつづけていた「考える人」を

そこに置いたまま

雨と共に歩み去ったカレーの市民たちの足音を

遠く地平のはてにききながら

わたしはわたしの心に

夜が明けてゆくのを感じていた














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