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電話ボックス [詩集 井戸]

   


   電話ボックス


電話ボックスは一つの世界の入口だ

しんと静まりかえった通りが世界の奥へ通じている

(夏には水がまかれ やがてはずれの方へ乾いてゆき

秋には枯葉が 音のない世界の中で散るように 散っている)

出はずれには

ぼくらの歩いたことのない景色が

遠く澄みはてた空の下に拡がっている

いわば日なたの中に拡がるぼくらの世界との境い目に

電話ボックスは蔭の世界の奥ゆきをうしろにひそませて立っているのだ

そこだけいつもひっそりしている

そして時々ベルが鳴る



遠い国からの呼びかけのように

電話の奥に拡がる世界にも

路のかたわらには電話ボックスが立っていることを知らせるように

そしてそこにも 電話をかける必要を持った人々が

たくさんいるかのように

話さねばならぬ話がいっぱいあるかのように



けれども受話器をはずす者がないままに

鳴り終わった後の電話ボックスはいっそうひっそりしている

そしてそこには 遠い世界からやって来た者が

一日中だまって立っている



人気(ひとけ)のない街角で電話をかけている人影が 窓ガラスに映る 人影はせきこん

で繰りかえし相手を呼び出している しきりに何かを訴えている 応ずる相手

がないとわかった後も立ち去らない 彼の顔はガラスの中で次第に蒼くなる

ついにぼくらにとどかぬまま 人影とともに話し声はとぎれる



夕暮には遠い海岸が見える 海のはずれを濡らしてきた雨が 海岸に音もなく

降っている 雨は旗のたれている海岸通りをのぼって 路のはずれまで 乾い

たところを残さずに濡らしてゆく



夜更けの電話ボックスに灯(ひ)がともる 自分を留守にして 人が夢の奥へ出かけ

ていった深夜にも 電話ボックスは灯をともしたまま立っている(こんな夜更

けに どんな深い耳が耳をすましているのだろう) 髪をふり乱した女が 夢

の中からあわててひき返してきて かけこむ そしてあわただしく出てゆく

死んでしまった息子と 悲鳴に近い女の泣き声が 消し残された灯のように

明け方まで残っている



時には にぎやかな町が見える あれはどこの町だろう 通りはいっぱいの人

出だ 蒼くなって訴えていた人影は今頃どこへ行っただろう あわただしく出

て行った女も 人ごみの中にまぎれこんでいようか 雨は 今頃どんな路のは

ずれを濡らしながら降り進んでいるだろう 笑っている顔 わめいている顔

だまりこくている顔 沢山の顔が 顔のうしろにさまざまな声をひそませて

 大きく浮びあがっては またふっと消えてゆく。けれどもいっぱいの人出が

何処へともなく帰っていった後の通りは いっそうがらんとしてしまう そし

て電話ボックスの中は 立っている人影もなく 静まりかえっている



また電話がはげしく鳴っている

ぼくらを呼び出しているように ひとしきり

けれども 受話器をはずしに入ってゆく者のないままに

しばらくしてベルは鳴りやむ



そして鳴りやんだあとは

いっそうひっそりと

一つの世界の奥ゆきを拡げたまま

電話ボックスは

ぼくらの世界との境い目に

辛抱強く立っている

















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