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地図 [詩集 井戸]




   地図

   ーー少年期


      1


人は奥深い距離です

生まれた時の空も 山も広場も水たまりも

水たまりにすずしく映っている顔も

天気も「夢」も みんなそこに住んでいます



乾いて白い地図や

雨があがったばかりのまだ濡れている地図

どの路も鮮かに澄んだ深い空の中に

すっきりと果てが見とおせますが

たどりはじめると何処まで行ってもはてしない地図

人はそのような地図の中の

どれかの路を通ってぼくの前にやって来ます

しかし帰ってゆく彼の後をつけてゆくと

きまって路に迷います

ぼくはいつも独りで

自分の路をひき返してくるよりほかありません

やっぱりぼくには 人は歩き尽せない広い国です



時々「夢」が 人を地図の外へ連れ出します

外はまっ青な天気

漂白された干し物が白くひるがえっています

留守になった地図は 涼しくかげり

彼の記憶の中に長年住んでいた人々がそこを通り

消し忘れた太陽が蒼くともっています



   2


ぼくは色々な地図に迷いこんだものです とりわけぼくは病人の地図によく迷

いこみました 病人の瞳の中に続いている路を 地図の奥へたどっていきます
 
 病人の地図は何時も 蔭の中にひっそりひろがっています そして蔭の中は

何処まで行っても留守です 夏休みの教室や校庭のように そして病院の長廊

下のように消毒の匂いだけがひんやりとただよっているばかりで 人の気配は

ありません 人々は忘れた「健康」という宿題をとりに 夏の外へ大急ぎで戻

っていったのでした



めくらの地図にも迷いこみました そこには何時も 柔かな雪が音もなく降り

 そして積もっています 木々は遠い気配に耳を澄まして じっと動かずに立

っています



気狂いの地図 それは不思議な遠い世界です ぼくらの祖先が「人間」になっ

った時 彼らの祖先はちがう「人間」になったのです ぼくらの祖先が「人間」

の眼で世界を見 そしてそれを自分の地図に沈ませた時 彼らの祖先はちがう

「人間」の眼で別の世界を見 それを彼らの地図に透きとおらせたのです 彼 

らはぼくらの見えない地図を持っており 彼らはまた ぼくらの中に ぼくら

の気づかない地図を 例えばぼくらのうしろにひっそりと拡がっている地図

いつかはぼくらを連れ去ってゆく「死」という奥深い地図を すでにこっそり

と見ているかも知れないのです



死んだ者の誰も住んでいない地図 そこにはいつも 人の溺れた川の匂いや

カニの匂い 日なたの匂いなどがただよっています そして余白の多い地図が

 水に濡れた路をはじの方に残して 拡げられたままになっています 気づく

と追憶のように その地図は消え ぼくは 白い風のかすかに吹く路のはずれ

に自分の影を長く曳いて独りで立っているのでした



   3


多くは 蔭の中に拡げられたそのような地図の奥を

ぼくは耳を澄まして歩きまわりました

問題が解けずに居残りさせられた落つきのない生徒のように

時々蔭の外を夏が素足で通り過ぎる気配がし

雨は空の深さや乾いた舗道を濡らしては

降り過ぎてゆきました

ぼくのしんと澄んだ期待や疑問を濡らし

耳の底によどんでいるぼくの「生」を

濡らしてゆきました



やがてぼくは すべての疑問に答えるために

そしてそれを自分の地図に書きこむために

日陰の奥から外の世界に出

まぶしい夏の日盛りの中に

余白だらけの地図を拡げ

未知の世界の奥へ歩いてゆきました











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