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声 [詩集 井戸]




   声

   ーーキシュハヴァシュの山の上に塚を建てよう、
   
   霜のおりた岩と杜松の原に、殺された者のための

   記念碑を建てよう。      「ルーマニヤ日記」


真空のように澄んだ聴覚が

深い耳の奥で一つのかすかな声を汲みあげる

沈黙の井戸を掘り下げた底から

地下水を汲みあげるように



誰もまだ きいたことのない言葉を

今日しゃべろうとした言葉



しかし ふとやんだ風の気配のように

倒れた彼とともに地上から消えてしまった言葉を

何千年も前に一つの喉に用意されながら

喉の奥深くにのみこまれたまま どの耳にも触れず

聴覚の外に行方不明になった海のような声を

ひろがらなかった深いそのイメージを



その声はドイツ語にもフランス語にも日本語にも

どんな言葉にも翻訳することのできない声だ

この世に姿を現わす前に

消されてしまった言葉以前の肉声の故に



その声は叫ぼうとして身をおこしかかった

何千年も前の喉の奥に

そしてきのうも

そして今日も



あらゆる国の野原や岸辺 地平線の上で

出かけた船が帰ってこない水平線の上で

ポンペイの町はずれ

エルベの岸辺 スフィンクスの蔭で

ドイツの塹壕 フランスの塹壕

中国の陣営 日本の陣営で

ドイツ語でフランス語で中国語でそして日本語で

あらゆる国の言葉で



それをきくようにと 耳を用意してすまされていた

ドイツ語の耳 フランス語の耳

中国語の耳 日本語の耳



けれどもそれは消されたのだ

その声を用意してふくらんだ喉

澄んだ眼をひらいたまま死んでいった彼と共に

その声が言葉になる前の静かな時間の中で

聴覚のとどかない世界の中に

そしてその言葉は

ドイツの耳にもフランスの耳にも

どの耳にもとどかなかった



ぼくらは今立っている

地下水の上に耳を垂らして立っているように

深い沈黙の上に

それら言葉にならなかった無数の声のイメージの深さの上に

声がそれぞれの国語で叫ぼうとした同じ一つの意味を

汲みとろうとして



ぼくらの澄んだ耳は

沈黙の深みからそれを汲みあげる

汲みあげては静かにこぼす

そしてぼくらの魂は

その声が叫ぼうとした深いイメージを見る

その声だけが知っている意味と世界をぼくらのものにする



それを組み立てねばならぬ

誰の眼にも鮮かに

そしてぼくらはそれを飜訳せねばならぬ

ドイツ語にフランス語に中国語に日本語に

世界中のありとあらゆる言葉に

置きかえねばならぬ
















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