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夭折した二人の詩人  (その2) [評論 等]


   夭折した二人の詩人  (その1)はこちら

   夭折した二人の詩人   (その2)


 好川誠一について私は勝野睦人ほどにも知

っていない。彼が勝野や石原吉郎氏らと詩誌

「ロシナンテ」に拠って活躍していたこと、

後に「櫂」の同人に加わったこと、その程度

のことしか知らない。当時私のところにも

「ロシナンテ」が送られてきていたので、私

は彼の名を知っていた。しかしその後間もな

くして彼の名はどの詩誌からも消えてしまっ

た。なぜか私は気がかりであった。数年前、

或る仲間うちの出版記念会の席上で私は石原

吉郎氏と同席した。石原氏とは初対面であっ

たが、互いに「罌粟」という詩誌の同人であ

った関係で、私は石原氏に勝野のことを

聞き、それから思い出したようにして好川の

ことを聞いた。石原氏なら彼のことを知って

いるにちがいないと思ったからである。しか

し石原氏の返事は意外であった。好川は死ん

だらしいと言うのである。好川は石原氏ら詩

仲間達の前から姿を消してしまっていた。

石原氏が彼の下宿を尋ねた時にはすでにそこ

にいず、下宿先で聞いた所番地を頼りに或る

地方まで足を運んだが、そこにも彼はいなか

ったという。その先の手がかりはつかめなか

ったが、あれこれの話を総合すると彼は死ん

だらしい、それも苦しんだはての狂死らしい

というのである。「好川のその後のことを詳

しく知りたいと思って調べてみたが、とうと

うわからずじまいであった。そこでせめて昔

の仲間達の手で追悼集なりを出したいと思っ

たが、それも果せずにいる」そういう意味の

ことを、その時石原氏は私に話してくれた。

 それ以来、私には好川のことが忘れられな

くなった。勝野の場合は私は彼の詩を読んで

いた。したがって彼の突然の死を私は彼の作

品のはずれで受けとめた。好川の場合はそれ

と全く対蹠的に、彼の死を通して、詩人とし

ての彼の生き方や作品を思いはかるという形

をとった。受けとめ方は対蹠的であったが、

私において二人の詩人に対する愛惜の深さに

は変わりがない。共に忘れることのできない

ひそやかな生き様と死に様をした。とりわけ

好川の場合、彼の作品を読もうとしてもその

手だてすらない。

 総じて詩人の死はなぜかひっそりとしてい

る。そのことを私はあながち悲しいこととは

思わない。本来人の死はきわめて個人的な、

かそけきものだろうかである。しかし精いっ

ぱいに生き、狂死するほどにもしんけんで

あった彼らの生き様が、誰からも忘れられて

しまうというのはやはり悲しいことに思われ

る。













便宜上、2つにわけさせてもらいました。

           その1はこちら

 「詩学」 S46年 9月号

  勝野睦人遺稿詩集はこちら    











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