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芭蕉の一句   (その2) [評論 等]





 普通この句は杜甫の詩『春望』中の「感レ時花濺レ涙、恨レ別鳥驚レ

心」に暗示を受けていると言われる。さらに岩波版『日本古典文学

大系・芭蕉文集』補注には、「陶淵明の『帰(ニ)田園居(一)』に『○鳥恋(ニ)
                             
旧林(一)、池魚思故淵(一)』(陶淵明集)などとある。」とあり、山本健
        
吉は上記の二詩人と共に『古楽府』の「古魚過レ河泣、何時

復還入」をあげ、されに「この陶詩を一転案した崇徳院御製『花

は根に鳥は古巣に帰るなり春のとまりを知る人ぞなき』(千載集)

にもとづいて、さらに一進転したのがこの句だと、露伴は言って

いるが」と露伴の説を引用し、続けて「山口誓子は、さらに『李

長吉詩集』をさぐって『燈花照魚目(一)』(題(ニ)帰夢(一)」)の詩句を得、
                
『魚目』は『涙目』と註されていることを指摘している。」(『芭

蕉』)と書いている。そして山本は以上の詩を芭蕉のこの句の曲

拠とする考えに対して「直接に芭蕉の発想につながっているとは

思えない。」「やはりそれと出典を限定するのは言い過ぎであろ

う。」「芭蕉の典拠とする必要はないが、詩の註釈としては参考と

するに足るのである。」と書いている。私もまた山本と共にこれ

らの詩どもが「直接に芭蕉の発想につながっているとは」思わな

いが、「古人も多く旅に死せるあり」と『奥の細道』に書いた時、

その古人について西行、宗祇、杏白、杜甫などを頭にうかべてい

た芭蕉は、彼の詩発想の深層に、(発想の直接のきっかけにはな

らなかったであろうでれども、芭蕉の主体において発想された詩

的世界が、今日この句に見るようなものとして一句完結したにつ

いては)杜甫の『春望』などのかかわりがあった、それがあずか

って力あったと考えてもいいであろうと私は思う。つまり例えば

「外界は謙作を通ってくる。」(中野重治『暗夜行路雑談』)とい

う言い方を芭蕉に借りて言えば、外界を通す芭蕉の主体、その通

させ方、それを見それをとらえる眼をつちかっていたものの一つ

として、この句の場合、杜甫の詩があずかって力あったろうと思

う。そしてその点に、山本の言う「直接に芭蕉の発想につながって

いない」「直接」にではない点に、つまり杜甫の詩の芭蕉に於ける解

釈、理解、摂取、生かされ方という点に私の関心がおもむく。

「やよい中の六日なれば、花はいまだなごりあり。楊梅桃李のこず

えこそ折知り顔に色々なれ。昔のあるじはなけれども、春を忘れぬ

花なれや。少将花のもとに立ち寄りて、



 桃李不レ言春幾暮 煙霞無レ跡昔誰栖

 ふるさとの花のものいふ世なりせばいかに昔のことを問はまし

                 (『平家物語』「少将都遠」)



 ここにみられる漢詩と和歌との間の消息、和歌の方かあら言って

「桃李不レ言……之々」の漢詩のとらえ方、理解の仕方、さらに芭

蕉の文章自体の例を求めるならば、「月日は百代の過客にして行か

ふ年も又旅人也。」と「夫天地者萬物之逆旅、光陰者百代之過客。」

との間の消息、前者に於ける後者のとらえ方、摂取のしざま、「李

白の『春夜宴(ニ)桃李園(一)序』に『夫天地者……』とあるによる。」(岩

波版古典大系『芭蕉大系』補注)の「よる」という言葉を使えばそ

のより(・・)方が上の二つの場合と比較して芭蕉の句の場合のそれは違っ

ていると私には思われる。そしてこの事と関連して次のような私の

質問が出てくる。

















以下、その3に続きます。

○は漢字がでてきませんでしたので、とりあえず置きました。

帰り点はUPした時にうまくいきませんでしたので(一)、(ニ)としました。

強調の点も(・・)にしています。




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