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三つの詩集  (その8) [評論 等]





  愛について



 そして僕らはたったふたりきりで

 むかいあい

 たどたどしいことばをかわす

 あなたのなかの僕と

 僕のなかのあなたと
 
 はじめてのようにたしかめ

 たしかめられて

 葉脈のようにひかり

 うるおう

 僕を受け容れたあなたと

 あなたをうけとめた僕と

 せつにえらび

 えらばれて

 疎水のように唱和しながら

 いちど限りの僕らの劇をはじめよう。



 私は沢山の詩を引用したい思いにかられる

が、どの一篇をとっても松尾氏の詩の特徴は

充分に表われている。「あなたのなかの僕と

/僕のなかのあなたと」という捉え方は決し

て目新しいものではないが、、しかしそれを

「葉脈のようにひろがり/うるおう」という

イメージで具像化する時、それはすでに松尾

氏独自の世界になっているのである。また、

「受け容れた」或いは「疎水のように」とい

う表現一つをとってみても、作者の眼がいか

に澄んでいるか、その澄んだ眼で静かにじっ

と対象をみつめ、そしてそれを優れたイメージ

に濾過し、的確に形象化したか、そういう

詩作の過程が自分の資質を大切に守り育てな

がら、しかしマンネリズに陥いらずに少しず

つ自分の世界を拡げていくように希望し、そ

のことを期待したい。



 今号は原稿を書く時間があまりなく、また

私の手元にある詩集も少なかったので、多く

の詩集にふれることができなかった。右の詩

集の他にも幾つか読んだが、私としてはもう

少し充分に読んでからと思い次号に譲ったも

のもある。藤富保男氏の『是非の帽子』など

がそれである。











 「詩学」 1968(S43)年 11月号



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