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三冊の詩集   (その8) [評論 等]





   とかげ


苔いろの凱旋門に

ばねじかけの太陽が落ちてから

ぼくは 英雄ではなくなった

雑草が反旗に見えだしたころ

ぼくは ぼくだけにさびしく穴を掘った

うすれてゆく記憶のなかで

子供たちが ぼくのたった一つの伝説を

牛乳瓶のなかに入れて駆けていた



   街



夜が街を持ちあげる

すると壊れた歌ばかりが音をたてる

後の無口の街には

髪をうかべた 馬たちが

後姿で立っている

その

動くことのない馬たちのなかにも

いつかしら 夜が立っている



   虹の鳥



空の手で

顔をぬぐわれながら

消えぬ虹は

その柔和なつばさの

どのような色彩を 奪われたのか

どのような幸福を

その空で 奪われてしまったのか

ふるえる

小さな眼を持ちながら

虹の空から 帰ってくる鳥は

どのような虹を通ったのか

どのような恐ろしい幸福を

通ってきてしまったのか



 右に引用した作品のほかに、私は「母」と

題する詩を高く評価する。少し長いので引用

できないのが残念だが。その他、「窓」「い

ととんぼ」「部屋」「白い花」「虫」等も佳

い作品だ。私は鷲谷氏の作品を読みながら、

鷲谷氏の文学上の血脈をたどろうとした。色

々の詩人たちの名が想いうかんだが、しかし

血脈はすっかり体質化されて、鷲谷氏自身の

血になっていることを改めて確認した。自分

の魂を紡ぐようにして鷲谷氏は精いっぱいに

うたっている。私は氏の精進に期待する。











 「詩学」 1969(S44)年 2,3月号



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