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鳥見迅彦詩集『なだれみち』など  (その6) [評論 等]





 「凍つる手に羽根摑ませて埋めしとや」の

追悼句などからは、死んだ少女の短い生涯が

はっきりと見えてくるし、少女をとり囲んで

いる人々の一つ一つの表情が見えてくる。

「百語り」の句にしても「うつし絵」の句に

しても「盲ひ女」の句「螢」の句「初泣き」

の句「手鞠児」の句にしても、背後に一つの

物語が暗示されているわけだが、それらの物

語や、物語を通して示された人生に対する泉

沢氏の眼はあたたかく、せつなさのようなも

のがまつわりついているようである。全くの

素人考えながら、私は蕪村的な世界を感じ

る。

 これらの句は表現技法上から言っても無理

なく詠まれており、そこから俳句本来の鋭さ

が獲得されてきたと思われるのだが、一方、

内容的にもまた技法の面でも意趣をこらした

ような作品は、それだけ句の質が低くなって

いると思われる。例えば次のような作品がそ

れである。





 氷解くる谷鋭角に曲りけり



 強飯(こはめし)やきさらぎの天かたく反(そ)り



 三月や雲の重さに背を病みぬ



 くさめして電工空をあるきだす



 ハレルヤを勢(きほ)ふ焦土の遅日かな



 滅亡の唄のごとくに鶯鳴きだす



 ユダのごとき影ら過ぎをり朝曇



 柳散るや楷書は太く下すべき



 基督に肖し息白く太きこと





 「強飯」と「天かたく反り」の結びつけ、

「雲の重さ」と「背の病」との結ぶつけに、

私は作為のあらわさを見るのである。効果を

計りすぎて句が品位を喪ってしまっている。

 私は泉沢の資質は、ここにはなく、初めに引

用した作品の世界にこそあると考えるのであ

る。











 「詩学」 1969(S44)年 8月号



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