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管理人より  雑感




   雑感です。

 「アノ顔ハ何ヲ」から「バス」までが詩学研究会への作品です。投稿で選ばれた分です。これ以降は依頼でかかれたと思います。

 「バス」はこれ長いんですよという風なことを言ってられました。

 『町のノオト』のなかの「道 Ⅱ」にーー死んだ富岡啓二に とありますが、富岡啓二は吉野弘に詩をてほどきした方です。直接お会いしたかはわかりませんが、手紙でのやりとりはされていたそうです。笹原先生がハガキをだし、富岡啓二から返信が届き、そのとき、今度手術をうけることがかかれていて、その返信を笹原先生がポケットに入れて投函する前に、富岡啓二が亡くなったことを知ったそうです。

 詩学では嵯峨信之が中心につくらていたと思います。先生は、嵯峨さんに目をかけられていたんですね。当時は気がついていませんでしたが、とも言ってられました。

 それから、どこに書けばいいかわからない^^;ので先生のPNの由来をここで書かせてもらいます。

 ちなみに私が先生を詩人だと知ったのは、最初にうけた講義が、『石垣りん詩集』(思潮社)をテキストにして石垣りんの詩を学びました。とりあげてほしい詩がありましたら言ってください。とも言われ、私は、「子ども」という詩をお願いしましたら、とりあげてくださいました。

 それはともかく、その講義のなかで石垣りんさんのことを書いたら、本人から丁寧な手紙が届いたことを話されました。

 それから半年か、1年後くらいに、石垣りんのことを書いたのがあると頭に残っていて、先生に読ませてもらえないかと頼んでみましたら、次の週の講義のときにコピーをくださいました。

 そのときに先生の名前とは違う名前が書いてあり、それが笹原常与でした。「私のペンネームです」と言ってわたしてくださいました。

 早速友人に、「これ先生のペンネームやって!」と言うと、「由来は?」って聴かれ、「聴いとけば?」と言ってくれたので由来を知ることができました。その友人には感謝です。

 ちなみに常与って、常に与えるでいい名前だなあとは思ってましたが、先生のイメージからはちょっと違うなあと思ってましたら、先生もちょっとぎょうぎょうしいですけどと。

 で由来ですが、先生は、百人一首の中の紫式部の娘の大弐三位(だいにのさんみ)の歌、



 有馬(ありま)山 猪名(ゐな)の笹原 風吹けば
     いでそよ人を 忘れやはする



 が好きでここから「笹原」をとりました。「この歌の近くに住むとは思いもよりませんでした。」と言ってられました。ちなみに現在、猪名の笹原再現プロジェクトというのをやっているそうです。

 そして常与の方ですが、父親の名前が与ぞう、母親の名前が常。で与常(よつね)ではちょっと、ということで常与になったそうです。









タグ:ペンネーム
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