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手 [詩集 井戸]




   手


手はとっさに

虚空でためらった

それは何という理由のあることではなかった

ほんの一瞬のことだから

だがそのわずかなためらいのすきに

受けとめられなかった「物」は手からそれて

手の下の深淵へ

はてしなく落ちていった

落ちてしまった以上 手はもう

ふたたび「物」をひろいあげることは出来なかった



手はすぐに

ためらったことの誤りに気づいた

それに気づいた手は 追いかけるように

思いきりさし出してみた

「物」が落ち去ったあとの 何の手ごたえもない世界の奥へ



手はそれからしばらくの間

そのままの形で身動きもせずに

深淵をのぞく虚空に じっとさし出されていたが

手が受けとめねばならぬ「物」は

もはや いつまで待っても現れなかった



さし出している手自身の重みだけが

しだいに加わった

その重みは やがて耐えがたい痛みにかわっていった



手はひっこめたがっている

それをとがめる者は誰もいなかった

初めから 手をとりまいている深い空以外

そんな手を見ている者はいなかったのだ

しかしなぜかひっこめることは出来なかった



手は手自身の痛い重みに

いつまでも耐えねばならなかった

やがて その手をさし出させている心の方で

かすかなすすり泣きがはじまった










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