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わが詩的課題  (その1) [評論 等]

  


   わが詩的課題


 「詩的課題」というようなことを私自身について考えてみた場

合、(一般的な問題として考えてみた場合もそうであろうが)常識

的に言って二つの事が考えられようし、またそう考えるのが便利で

あろうと思う。つまり「何を?」描くかという課題と、それを「ど

のように?」或いは「いかにして?」描くかという課題との二つで

ある。勿論それらは二つともども切り離しては考えられぬし、また

「何を?」の問題は詩の本質論にかかわるものであって軽々しくは

扱えぬと思うし、特に今の私には力のなさも手伝って充分には言え

ぬ。

 ただ私は「わが」という限定が許されていることなどにも助けを

かりて、あれこれ考えてみて抽象的にも具体的にも「人間を」とい

う答え以外には答えは見つからぬ。私は自分をも含めて人間を描き

たい。それも出来うる限りよりよく、明らかに描きたい。そこに

「何を?」の課題を置きたいと思う。そして「よりよく」描くこと

の問題が、次の「いかにして?」の課題を導き出してこようかと思

う。私は「いかにして?」の課題について考えながら、「人間を」

の問題に触れることが出来たらと思うのである。

 戦後さまざまの主張・思潮が文学面に於てなされたが、そういう

もののうち私は例えば「第二芸術論」「短歌的抒情の否定」「慣習

への弔砲」といった表現のもとに扱われ論議された問題は、

大ざっぱに言って、戦後の日本文学の、特に詩的分野に於ける或る種

の主張・思潮の一面を代表していると思う。そしてこれも大ざっぱ

に言って、そこに提出された問題は伝統的な日本文学の再検討、再

批判という問題であったろうと思う。大体に於てそれらの多くはヨ

ーロッパ的な「知性」「科学的批評精神」ーー「強さ」と言われる

ようなものを中枢として、日本文学を再検討することにあったと思

う。それらは「再検討」した。そしてそれらの多くは伝統的な日本

文学が内実として持ち続けてき、また現に持っているものの主要部

分が「知性的」「科学的批評精神」的な彼らが主張し或いは念願し

ているところのそれら「知性」「科学的批評精神」ーー「強さ」と

は凡そ正反対の日本的な「詠嘆性」「短歌的抒情性」に過ぎず、つ

まり芸術上当然打破されるべき運命にある「弱さ」「しめっぽさ」

「甘さ」、彼らの言う「第二芸術」的な性格を出ないものとして

みたようである。

 私は思うのであるが、彼らが彼らの言う「第二芸術」「短歌的抒

情」「慣習」の実体そのものを日本文学作品の個々について具体的

に充分に明らかにせず、したがってそれらの論はいきおい抽象的概

念的な様相を帯び、しかしそうであるだけかえって見かけ上景気の

いい流行のようなものを形づくったのではないか。それらは誠に景

気がいい。既製のものを破壊しようとする時にはたいてい景気のよ

さがつきまとうものだが、そして景気のよさはそれに伴う逸脱と共

により多くの成果をももたらすものであり、その点の意義をも私は

認める。ただ私は景気のよさと逸脱とが人間の全き姿を見過すもの

である場合にはそれを許すことは出来ないと思う。彼らが「短歌的

抒情の否定」と言い「慣習への弔砲」と言い「第二芸術」としてか

たづけようとする時、そういう手続き・方向を通して人間の実体を

とらえようとする努力を私は認める。それらの手続き・方向は人間

把握の一つの側面を示したものであるから。それと共に私は人間把

握のもう一つの側面を彼らの否定の対象になったらしい「詠嘆性」

にも認めようと思うのである。彼らの言う「詠嘆性」は本当に詠嘆

性に過ぎないものであるかどうか、その辺のことを私は私なりに考

えてみたい、そしてそこに言わば「わが詩的課題」を置こうとする

ものである。




     その2はこちら


     その3はこちら












短歌は、雑誌ではつめて書かれていますが、ここでは、「」をはずし、わけて書いています。ご了承下さい。



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