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芭蕉の一句 [評論 等]




   芭蕉の一句

    ーー江戸文学についての書きつけーー


 私に与えられたテーマは「日本の詩の発見・江戸文学につい

て」というのであった。浮世草子に於ける西鶴、さらには読本、

黄表紙、洒落本、人情本等のそれぞれの作家達によって展開され

る江戸散文の流れ、近松とそれに続く浄瑠璃の流れ、貞門、談林

の俳諧の展開と蕉風の確立、さらに天明の蕪村、化政の一茶へと

断続的に続く江戸俳諧の流れ、加茂真淵その他の江戸和歌の流

れ、川柳狂歌の一脈、そして一方に近世歌謡の流れを考えあわ

せ、それらの流れとその質との総体の上に立ってはじめて江戸文

学に対する視点は定められ、そこからして江戸文学に於ける「詩

の発見」はなされるであろう。仮りにここに言う「詩」を江戸文

学に即してみる場合狭義に解釈し、俳諧、和歌、歌謡等の韻文に

限定して考えるにしても、江戸文学総体の中で、それぞれの流れ

と質とに於ける相互のかかわりに於いて、ないしはかかわりなさ

というかかわりに於いて、それをとらえるのではなくては発見どこ

ろか片手落ちということになるだろう。けれどもそういう力は今の

私にはとうていない。したがっていきおい私の文章には疎漏と独り

よがりがともなうであろう。岩波版『日本古典文学大系・蕪村集一

茶集』月報に吉田洋一という人が「蕪村雑感」と題する文章を書い

ているが、吉田はそれに「わたしのよみかた」というただし書きを

附している。吉田から言葉だけを借りて言えば、私のこの文章も

「わたしのよみかた」といったほどのもの、いわば私にとっての書

きつけという程度のものに過ぎない。しかも私の場合「よみかた」

の対象になるものは芭蕉の一句だけである。



 行春や鳥啼き魚の目は泪



「千じゅと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさが

りて、幻のちまたに離別の泪をそヽく。」という地の文に続き、さ

らに「是を矢立の初として」という地の文を後に従えた『奥の細

道』中の元禄二年三月下旬に作られたことになるこの句を手がかり

として、私の芭蕉に関する断片的な感想を書こうと思う。その一つ

はこの句にかかわりを持つものとして古来よく引用される杜甫の詩

『春望』その他特に春望とこの句との間の消息についての取るに足

らぬかも知れぬ質問を伴った私見と、もう一つは、この句の詩的世

界そのものについてである。















 「詩学」S36 9月号

以下、その2へ続きます。




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