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石原吉郎書附け 三 「うた」の復権 (その2) [評論 等]





 石原氏が復権をこころざしている「うた」とは、在来

の音楽性のことではない。石原氏の作品を読んでみるな

らば、それらの作品が在来の音楽性といかに無縁である

かがはっきりわかる。むしろ石原氏は意識的にそれを峻

拒しようとさえしている。

 石原氏の言う「うた」の復権とは、「最もよき私自

身」の復権のいいであるように私には思われる。「最も

よき私自身」といい「うた」の復権といい、これらは同

じ根から生じて別様の表現を与えられたものにほかなら

ない。対峙が自動的に拡大再生産される日常性の中で、

「最もよき私自身」が見失われ、したがってそれの奪

回、回復は、対峙する日常性の中で行われなければな

らないのだが、言葉の精髄としての「うた」もまた、蕪

雑な日常言語の中から汲みとられてこなければならない

ものだ。それはあたかも、耳鳴りのはずれにはじまった

「男」を、耳鳴りそのものの中から汲み上げてくる仕事

と同じなのだ。植物の中から植物であるまえの炎をとら

え、穀物の中から穀物であるまえの勇気をとらえ、収穫

そのものの中から収穫であるまえに祈りであったものを

とらえてくるように。このことを石原氏は論理としてで

はなく、自己の詩に即し自分の肉声を通して言っている

のだ。「これらの作品を通じて私の意識に常にあったも

のは、詩における『うた』の復権ということであった」

と。

 むろん、石原氏が「うた」の復権という場合、そこに

は詩的技法上の或いは言語感覚上の諸要素諸問題も含ま

れているだろう。しかし真の「うた」は、うたわれるべ

きものの内実や質の正当な探索と掌握の上に、即ち、

「最もよき私自身」の奪回と回復の上にはじめて「復権」

されるものなのである。     (一九六八年十二月)













 『石原吉郎詩集』 思潮社より



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