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石原吉郎書付け   (その3) [評論 等]





 こういうこともあった。『石原吉郎詩集』(現代詩文庫)の解説を

頼まれて私はそれを書いた。すると石原さんから丁重な封書があっ

て、「うたの復権」に関する箇所では特に教えられることがあった。

自分は気づかないでいた。その点ではあなたは私の一歩先を歩いて

いると思ったーーそういう意味のことが心のこもった調子で書いて

あった。私は恐縮したが、しかし石原さんのせっかくの気持ちは素

直に受けとっておこうと思った。その上でしかし、何程のことも言

っていない私の文章からそのような意味合いを汲み取ったのは、ほ

かならぬ石原さん自身の読みの深さを証しするものであり、文意の

理解において、石原さんはそれを書いた当人の私よりも一歩先を歩

いているのだ、と私は考えたりした。

 合評会の仕事が終りわれわれは解散したが、それからしばらくし

た或る日、何かの用事で私は嵯峨さんと会うことになった。当時私

の勤め先は芝公園にあって、詩学社とは近かった。私は出かけて行

ったが、その途中、坂路を下りかかった所で、人影のないその坂路

を登ってくる男の姿が眼に入った。ひどくうつむいた姿勢でゆっく

りと歩いてくる。思い屈しているといった様子であった。すれちが

うきわにその男はふと顔をあげたが、それは石原さんだった。気が

滅入ってしかたがないので、その辺を散歩しようと思ったのだ、と

力のない声で石原さんは言った。私は、一緒に嵯峨さんのところへ

行こうと言った。石原さんはすぐに応じた。

 嵯峨さんは待っていて、私たちが行くと「外へ出よう」と言っ

た。そこで私たちは嵯峨さんのあとからついていった。嵯峨さんは

足早に歩いて行く。私たちは雑談しながら遅れがちになる。気がつ

くと嵯峨さんはガードレールを越え、車の行き交う大通りの中程に

立って、私たちにむかって手招きしている。私たちには嵯峨さんの

真似をする勇気がなかった。大急ぎで横断歩道をまわって嵯峨さん

に追いついた。嵯峨さんは「君ら勇気がないんだなあ」と言った。

まわりを無視する態度であった。そこで石原さんは愉快そうに笑っ

た。私は心なごむ思いがした。しかしそれが私が石原さんを見た最

後のものとなった。













 「詩学」 1978(S53)年 2月号



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