三つの詩集 (その6) [評論 等]
「そうやって、かって美はあったので/そ
れはすでに美ではなかった」という詩句も、
私にはよく理解できない。おそらく作者の意
中には、こう表現させるレアリテが実在し、
イメージは鮮明な姿で見えているのにちがい
ない。しかし「かって美はあったので」とい
う場合、具体的にそれがどういう「美」であ
るのか、そしてなぜ「それはすでに美ではな
かった」ということになるのか、その消息が
読者には充分に理解されないのである。「樹
はオルガンのシンメトリにまたがり」という
表現も、具象性に欠けているのではないだろ
うか。こういう結果が生じたのは、おそら
く、自分の感動内容の咀嚼に充分の時間をか
けず、表現に際して、辛抱強くあることを怠
ったためではないかと思われる。私はこの詩
人の真摯な態度を評価する故に、本来豊饒な
ものとなるべきであった詩が、やせたものに
なったことを惜しむのである。集中私が佳い
と思った作品の一つに「水中の庭」がある。
魚はわたしのように論理的に酔うことはし
ないから
わたしは 魚が
ガラス鉢の中で雨になるのをみる
スモモの花弁のように降下していくのをみ
る
(略)
最初に稲妻
つぎに雨を降らす雲
死ぬまでのみじかい時間を
魚たちは
水中で雨になって ねじれる
以下、その7になります。
2015-07-18 09:36
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