『黄金文明』『大阪文学学校詩集』 (その3) [評論 等]
『黄金文明』の中には、戦争のもたらした
傷痕が色濃く揺曳している作品がかなりあ
る。「喪の魂」「秋の缶」「不幸な栄螺(さざえ)」「残酷
な夏の終に」「浮草たちは」「夏の手」「日暮
の海」「ある戦士の墓」などがそれである。
これらの作品は、戦争というものを長島氏の
内部現実を通して捉えていることによって、
確固たるリアリティを獲得している。「だが
どの肉体にも/戦争の血がべっとりとついて
いた/ああ そうした彼らとの死のめぐり逢
いは/この深い土の中で/いつも沢山/果物
のように熟しているが/誰も自分の死の/ほ
んとうの意味を/知っているものはいない」
(「ある戦士の墓」)ーーつまり長島氏は「自
分の死の/ほんとうの意味を/知」ろうとす
ることのなかで、「彼らとの死のめぐり逢い」
を考え、「彼らとの死のめぐり逢い」を通し
て「自分の死の/ほんとうの意味を/知」ろ
うとしつずけている。詩「弾丸」に於けるが
如くこの詩集に於ても、戦争は長島氏の肉体
深く沈潜し、長島氏の魂はそれに対して激し
い拒絶反応を示しつずけ、そうすることによ
って戦争のもたらした傷は一層大きく深くな
っている。そして私たち読者は長島氏のこの
ような傷と痛みを通して、戦争の意味を改め
て確認するのである。
真夏にひとりの少年が崩壊した
肉体はキャンディよりも
早くとけるので
たちまち焼いて 灰にした
(「喪の魂」)
突然 きみらは崩れる
わめいたりどなったり がらがら音を立て
て
食(く)らったあとの
この錆びた現在から
深い過去の底に落ちるのだ
(「秋の缶」)
この真昼 沖の方で物の毀れる音がした
それはきみの手で
造って沈めたみずみずしい船
(「死」)
じじつおれは
いま崩壊の一歩てまえの僧で
かたい善にしばられながら
ずいぶんと長い間
荒野の中に坐っていた
(「野の仏」)
近代国家たちも
いつか真黒い枯草のむこうに
遠く崩れおちている
(「陶器の縁(ふち)」)
長島氏の作品を読んで気づくことは、氏が
物の欠落や崩壊に敏感であることだ。右に引
用した詩句はその主な例であるが、このほか
に「空瓶」「空缶」「瀬戸物」「陶器」等の
語彙がしばしば使われており、しかもこれら
は、内部の崩壊・欠落を明示あるいは暗示す
るイメージとして用いられている。
以下、その4に続きます。
2015-07-21 21:34
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