SSブログ

『黄金文明』『大阪文学学校詩集』  (その2) [評論 等]





 この深夜 地に重たく体を折り

 ひとりの古代の人間が砂の上に死んでいる

 典型な祈りの姿で

 この人は くらいながい時間の果で

 いつか固い静物のように凍り

 からんとした唐金(からがね)の中には

 さみしさ陸離をいっぱいつめて坐ってい

  る



 このはるかな距離の人よ

 あなたは一体どこの国の人か

 春はどんより曇った桜の花の下で

 いつも水平線のような細い目をして

 一切の過去のコスモスを閉じたまま

 夜明けは 鳩の声とともに

 カメラのレンズの中で

 恋人の背後におさまり

 いつまでも天に向って

 黒い祈りをささげている



 その祈りは 古代において

 いったい誰れへの象徴であったのか

 その願望は

 亡魂を弔うために

 いまも砂の上にひとり坐って

 いや死んだまま

 失しなった肉体のあたたかさを

 永遠の鋳型としている



          (「さみしい大仏」)



 この見事に形象化された作品は、長島氏の

存在感覚を的確に表明しているとともに、詩

的造形力のたしかさと表現に対する厳格さを

私たちに感じさせる。ここで「大仏」は宗教

的な呪縛から全く解き放たれ、一個の実在す

る人間としての血脈を与えられている。長島

氏は「仏」を描くことによって諦念の世界へ

傾斜することがなかった。長島氏の強靭な批

評精神や横溢する生存意識は、「仏」をのっ

とり「仏」をして現代人の典型と化せしめた

と言っていいのではないか。そしてまた、「さ

みしさや陸離をいっぱいつめて坐」りつつ、

「いつも水平線のような細い目をして/一切

の過去のコスモスを閉じたまま/……いつま

でも天に向って/黒い祈りをささげている」

大仏の姿は、そのままこの詩人の世界に対す

る態度を見ることができるだろう。

 長島氏の「水平線のような細い目」は、ま

ぶたを細めることによって外光を的確に調整

し、物の仮象を濾過して、物の本質を鋭く捉

えるのである。それはカメラのしぼりを調節

するのに似ている。しかも細められた目は外

界にむかうと同時に長島氏の内部をのぞき見

ている。「さみしさや陸離」そして「一切の

過去のコスモス」にむかって見開かれてい

る。むしろ内部いっぱいつまったそれらを通

して、外部や外部の事象は捉えられていると

言うべきだろうか。











以下、その3へ続きます。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。