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石垣りん詩集『表札など』など   (その5)   [評論 等]





 山田博詩集『句読閑話』(天幕書房刊)

 著者の第二詩集。体裁は極めて簡素であ

り、収録詩数五篇、頁数は跋文を入れてわず

か二十一頁のものであるが、この詩集は今月

私が読んだ沢山の詩集の中でも印象深いもの

であった。この詩人はものの見方考え方にか

なり深いものを持っているようである。現代

社会がもららす疎外状況に敏感に感応しなが

ら、しかしそれを一種楽天的な仕方でゆった

りとうたっているようなところがある。危険

感とか悲愴感を持ち出して神経質に揚言する

ような態度を山田氏は持っていない。これは

この詩人の生き方や人生観にねざしているの

ろう。

 私はこの詩集を読みながら、作者の一種と

ぼけたような悠揚迫らざる態度を面白く思っ

た。ひと頃一部に流行したらしい「戯れうた」

ともこれはちがう。「戯れうた」には、「戯れ

うた」を書こうとする作者の意識が働き、そ

ういういわば作為的な所産として成り立つと

いう面があるのだが、山田氏の場合には、も

っと深く、氏の生き方そのものからおのずか

ら湧き出てくるもののように思われる。そし

てそういう生き方が読者にユーモアを感じさ

せる。人間に対する洞察の深さの上に成り立

つもの、そういうものとして、「ユーモア」を

私はここで言うのである。山之口貘の詩が持

っているようなもの、高橋新吉の或る種の詩

が持っているようなものがここにはある。



  会話



 慌てて

 ざぶとんを裏がえして差し出すとき

 つい 己れをも

 裏がえしてしまうのだ



 不意の客に

 失礼なことのないように

 ふだんの俺は醜いから

 いつもの俺は愚かだから

 裏がえしの俺の上へ

 客は両膝そろえ

 坐るのだ



 どうぞお楽に どうぞどうぞ

 だが もう

 どうにも

 こそばゆい会話が

 はじまってしまうのだ。













以下、その6に続きます。



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