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詩集『幻影哀歌』など   (その4) [評論 等]





    紫陽花



  アジサイの色の変わるわけは幽レイが中にいて

 着物をきかえるからだと聴いて私は その花の傍

 へ寄ったが 明け方とか雨とか声が洩れていた

 ことによると痴呆を卑しまれて死んだ娘が 叶え

 られなかった希みを この中で果しているのでは

 ないか

              (以下略)



 「娘」に寄せる岡田氏の心根は優しく、物

悲しく痛恨と美しさにみちている。だが私に

とってこの詩集は難解であった。難解さのい

われは私の理解力の不足にもあるのだろうけ

れど、しかしそればかりではない。岡田氏自

身にとっては自明なことが、他の者にとって

は必ずしも自明ではない、というそれこそ自

明の事実を、岡田氏がややもすると忘れてし

まい、いわば自問自答の形で作品を展開して

いることにもよるだろう。私は岡田氏の詩世

界の深みへおりていこうと努めた。しかし或

る点まで行くと、作品を理解する手がかりは

消されてしまっている。私は岡田氏がより十

全に自己の詩世界を表現するように望む。飛

躍と断絶は詩表現に於ては尊重されねばなら

ぬ。しかしそれは読む者の魂をめざめさせ、

今迄見えなかった世界にむけて我々の眼をひ

らかせるものではなくてはならない。私は岡

田氏の詩の語り口・うたい口に独特の魅力を

感じる。それは長い修練の結果得られたもの

だ。しかし他面、岡田氏は自分の語り口に頼

ってしまっている点があるように私には思わ

れる。語り口のために詩世界が犠牲にされて

しまっている点がなくはない。こういう感想

は私の無理解にもとずくものであろうか。し

かし在りのままの自分をさらけ出す以外、私

は批評の手だてはない。










以下、その5へ続きます。



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