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詩集『幻影哀歌』など   (その5) [評論 等]





 日登敬子『正しく泣けない』(地球社刊)四

周の世界に眼をひらき、手さぐりしながら自

分の「生」を確認しはじめた者の持つ精神の

柔軟さと、新鮮さがこの詩集には見られる。

自分の素肌でじかに捉えられた世界は、特定

の観念によって限定されることなく、感受さ

れたままの透明な姿に於て定着されている。

自分や自分をとりまく世界の奥深さについて

そして私たちの傍に常に在り続ける万象の本

質について、改めて思いをめぐらし、その思

いを詩という手だてで表現しようと試みはじ

めた当初、詩人の誰もが持ったであろう柔軟

な感受性と精神が、この詩集にはこぼれた水

のような新鮮さで湛えられている。こぼれた

水はいまだ方円いずれの器にも従わず、澄ん

だ水溜りとなって夏の日ざしや木々を映し、

のぞきこむ人の願を店の方に映し、時に自分

の血や不在をのぞかせながら、不安と期待に

かすかにふるえているようである。













以下、その6へ続きます。






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