詩集『幻影哀歌』など (その5) [評論 等]
日登敬子『正しく泣けない』(地球社刊)四
周の世界に眼をひらき、手さぐりしながら自
分の「生」を確認しはじめた者の持つ精神の
柔軟さと、新鮮さがこの詩集には見られる。
自分の素肌でじかに捉えられた世界は、特定
の観念によって限定されることなく、感受さ
れたままの透明な姿に於て定着されている。
自分や自分をとりまく世界の奥深さについて
そして私たちの傍に常に在り続ける万象の本
質について、改めて思いをめぐらし、その思
いを詩という手だてで表現しようと試みはじ
めた当初、詩人の誰もが持ったであろう柔軟
な感受性と精神が、この詩集にはこぼれた水
のような新鮮さで湛えられている。こぼれた
水はいまだ方円いずれの器にも従わず、澄ん
だ水溜りとなって夏の日ざしや木々を映し、
のぞきこむ人の願を店の方に映し、時に自分
の血や不在をのぞかせながら、不安と期待に
かすかにふるえているようである。
以下、その6へ続きます。
2015-10-22 19:47
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0