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否定的な感想   (その7) [評論 等]





 以上私は、詩に対する擬態的態度に触れて

否定的な感想を書きつけた。しかし一方にこ

れらにほとんど対蹠するものとしての素朴な

詩集が何冊かあった。藤尾花作詩集『原点』、

森口武男詩集『カッパのあいさつ』等であ

る。素朴さはそれを意識した時にはたちま

ち素朴であることをやめ、鼻もちならぬ独り

よがりと、思わせぶりなポーズに堕する危険

を孕んでいるし、一方、自然発生的な主観の

吐露に終らせる安易さへ作品を追い込む危険

をも持っている。この二詩集にもそういうあ

ぶなさがないわけではないが、しかし、パン

フレットと言った方がふさわしいような、こ

れらの詩集に収録されている作品には、詩に

関する観念的知識をふりまわして、「痛苦の

重み」だの「反詩的」だのといった大袈裟な

揚言は見られない。自己の感動に忠実であろ

うとするひたむきさが見え、もっぱら正直な

ところを、たとい古いと言われようと、現代

文明に対する批評性が不足していると言われ

ようと、現代むきのこざかしい手ごころなど

加えずにうたっている。表現上の装飾や目あ

たらしさは、今日只今いかに新奇に見えよう

と、時ならずして褪せてしまうものと思わね

ばならぬ。「情況」だの「自己疎外」だのと

いう言葉が、詩集のあちこちに見られ、一種

の流行語になっているようだが、こういう言

葉に安易によりかかって、末梢神経を刺激さ

せている一部の者たちの脆弱な精神は、これ

らの言葉が色褪せるよりもすみやかに、凋落

していってしまいがちなのである。





 黙っていることは辛いことだぞ

 一日中涙を流すより辛いことだぞ

 私がお前に黙っているのは

 黙っているがましだからではない

 大人が小児になるより辛い思いで

 黙っていなければならないからだ

 黙っているほかどうにもならないからだ



     (略)



 云ってしまえば

 それで済むとお前は云うのか

 云ってしまう

 それもよかろう

 だがそのあとには恐ろしい沈黙が待っている

 それが目に見えているので

 私は黙っているのだ



     (略)



 私が黙っているのは

 喋ることが恐いからでも

 喋ったあとが恐いからでも決してない

 この辛いのをがまんすることだけが

 私に出来るたった一つのことだからだ

 私が抱えた一ぱいの荷物を下ろそうと

 お前の親切そうなそぶりは解るが

 そのつもりが荷物を積重ねていくのだ

 残酷な善意はもうたくさんだ

 私とてお多聞にもれず

 お前の荷物を軽くするつもりが

 そのつもりがかえって

 重くしているらしいが

 おたがい様で済まされてたまるか

 黙っているのは、なんといっても辛いことだぞ





            ーー藤尾花作「重荷」





 ーーよめさんがほしい。

 と、あいつは木にだきついた。

 雀がとびあがった

 あいつは

 そのまま戦死した。

 その木がまだある。

 雀がまだいる。

 孫かひ孫か

 なにかさえずっている。





        ーー森口武男「昔話」





 夜なか。

 ト、ト、トと

 音がする。

 あれは

 腰いたの母が

 懐炉の灰を

 火鉢にたたいて

 すてる音だ。

 ぼくは

 八十二のあの母が

 死んだら

 くいな(水雞)になるのかと思う。あの鳥は

 夜なか

 さびしくたたくような声でなくという。





      ーー同「母」











    「詩学」 1969(S44)年 7月号

* 最初の森口武男のお名前が武夫になっていましたの訂正しました。






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