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歩く人 [詩集 井戸]

   歩く人


    1



いつも歩きつづけている人影がぼくらの中にいる。

とりわけ ぼくらの心のかげりのあたりにいる。



立ちどまって耳をすますと

潮騒のように 耳の奥を通り過ぎてゆく。

まぶたの裏側の薄明の中から

高鳴りのように

しだいに視界の明るさの方へ近づいてくるのが見える。

それにつれてぼくらの心も高鳴ってくる。

深夜も彼は眼ざめつづけ

ぼくらの夢の中をだまって通り過ぎ

夜明けの方へ曲ってゆく。



水のさしひきにも似た人影は

ぼくらが歩みはじめると

降り過ぎる雨が遠ざかってゆくようにその足音を消し

いつかぼくらの体の奥へと遠ざかってゆく。



しかしその時も 人影は

ぼくらの歩みに重なって

心の地平のあたりをぼくらと共に歩いているのだ。

ぼくらの歩調が乱れる時

そのすきまから 彼のしずんだ足音はこぼれてきこえてくる。

ふたたび立ちどまって耳を澄ませば

またはっきりと彼は近づいてくる。



彼はだれだろう。

ぼくらめいめいの体の奥に住み

それぞれのコスモスの深みの中を

それぞれの歩きようで歩きつづけ

通り過ぎる黒い人影。



彼はどこから出発してきたのだろう。

あの大地に降る雨のように重く しっかりした足どりは

どれほどの夜の深さを歩いてきたのだろう。

ぼくらが生まれる前のどんな世界を

どれほどの長い人類という奥ゆきを

彼は歩いてきたのであろう。



ぼくらが気づいた時

すでにぼくらの幼年期の中を歩いてきた。

そして今もぼくらの中を歩きつづけ

やがてぼくらが歩みをやめる時も

ぼくらの体からぬけ出し ぼくらの境界を越えて

血が受け継がれてゆくように

さらに先の子孫たちの新しいコスモスへと

一筋歩みつづけてゆく。

彼はどんなに遠くまではてしなく出かけてゆくのだろう。



 2



単数にして同時に複数のような人影。

彼はひっそりとなりをひそめているが

その足の奥ゆきには

人間のたくさんの歩行が重なりひそんでいる。

蔭の奥にさらに深い蔭があるように。



人間の長い歩行の累積と距離の総和が

彼の二本の足の奥ゆきをつくり

その強いバネとバランスをつくった。

そしてこれからのはてしない距離と歩行の予約が

無限の踏み出しとしてひそんでいる。



たえずゆれつづけるぼくらの肉体の中を

彼は通ってきた。

長い通過の中で

ゆがんだ顔も重い手もすべてふり落としてきた。

今はなくなっているが

かつて首の上に据えられていたのは

どんな顔であったろうか。

あの「鼻のつぶれた男」の顔だったろうか。



今はバネそのものの二本の脚と

がんじょうな胴と

それらの中を流れるほてるような体温しか持っていないが

その塊り全体が顔の表情をたたえている。

足そのものが深い顔なのだ。



なんという固有名詞でその人影を呼ぼうか。

普通名詞のような奥ゆきの彼をーー

「人間」と名づけるよりほかなかろうか。



常に「出発」の姿

その持続発展の姿として

静止を破っては生きかえり

雨の中を通り ひなたに出

蔭の深みに入り

そしてまた 潮騒のように

ぼくらの耳の奥を通り過ぎてゆく。


























タグ:歩く人
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