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気配 [詩集 井戸]


   気配


そこにいるのは

だれ?

うしろに立っているのは だれ?

わたしの足音のはじまるところから足音がはじまり

常にわたしが立ちどまると

わたしの地点よりわずかに離れたうしろでとまる



わたしはふりむく

その時はすでに

ソーダー水が蒸発したように

青いあおい奥ゆきの空だけしんと残して

姿を消している

そしてふりむいたわたしのうしろに

今迄たしかに其処にいたことの それ故に

いまだ静まりきらないかすかな気配を涼しく立たせて

わたしをいつまでも不安にさせる

あなたは だれ?

木のうしろに隠れて

空の中に延ばされた細い枝先を

かすかにふるわせつづけている「心配」のように

海の深みにひそみ

水の色をいつまでも染めている「深度」のように

黒ぬりのオルガンの中にじっとしゃがみこんだままひそんでいて

不意に誰もいない部屋の中のオルガンを

響かせる母音のように

わたしのうしろに隠れていて

わたしのがらんとした心を震わせるのはだれ?

故知らずわたしを泣きたくさせるあなたは

だれなの?



いいえ 眼には見えないけれど

手には触れないけれど

たしかにその人は立っている

気配で わたしの肌にふれるかすかな空気の身動きの気配で

わたしにはわかる



しみ一つ染まっていないわたしの心

しわをのばした白絹のようなわたしの心を次第に

どんな水ゆすぎのはてにもすすぎきれない程の

深い悲しみの色で染めてゆき

ゆらさずにはげしくあふれそうになったのは

その人がわたしのうしろに風の気配のように

そっと立つようになってからのこと



いつどこから その人をわたしは連れてきてしまったの

どんな夏の奥から連れてきてしまったの

わたしが路の途中ですれ違った人は

見ず知らずの男の人だったのに

その人は何ごともなく

その人にとっては 雲一つ空の色の濃さ一つ変らない

前と同じ天気の中を

すれ違ったあともそのまま

わたしと反対の方へ遠ざかって行ってしまったはずなのに

その時からわたしの天気はすっかり変り

わたしは わたしのうしろに立って

わたしを苦しくさせる人の気配を連れてきてしまった



わたしが今迄 わたしの眼の奥に大切にしまっておいた景色

晴れわたった空やその青さまで濡らすあなたは

どんな雨なの?

それまでわたしの眼の中を歩いていた顔をみんな

ガラスに映っている景色をぬぐうようにして

外へ歩かせていってしまったあなたは

そしてそのあとに

誰もいないがらんとした夏の広場だけを置いていったあなたは

どんな天気? どんな「晴れ」なの?

わたしの国境を越え

わたしの夢の中にまで入ってきて

涼しく立っているあなたは

でも驚いて眼覚めると

ただ気配だけを残して

もうわたしの囲いの中にはいなくなっているあなたは

どんな「夜」なの?

路の途中で 行先から不意に

わたしを横路にそらしてしまうあなたは

どんな「行先」なの?

わたしをこんなにはげしく目まいさせるあなたは

いつの夏?

わたしの小さな胸を

息もつかせぬくらい苦しくさせるあなたは

何という病気?

幾つもの夜をくぐらせながら こうして

わたしをしゃべりつづけさせるあなたは

どんなに長い 終りのない物語なの?



わたしはもう

わたし自身わからなくなりながら

わたしのうしろに隠れている者の名を

呼びつづける











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