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脚の歌 [詩集 井戸]




   脚の歌


ふいにバランスが崩れた

さからうことのできぬ離別の力が

心の背中を押したのだ



静かに立ちつづける長い二本の影と体温を

そして安らぎを

もとの場所に置きざりにしたまま

脚はきり際限のない距離の奥へ

自分でももう止めることのできぬ速度で

走り出していた



心は しかし

脚よりも もっと先を青ざめて走っていた

耳鳴りも一緒に空の中を走っていた



胸は苦しく 喉はかわき

脚は止まりたかったが

心は 先へ先へと

悲しい姿で走りつづけ

心をこぼさずに保つためには

脚は走らねばならなかった

しばらく 脚は自分を見失って走った



脚は走りながら いくつもの夕暮に遇った

いくつものひるまや いくつもの雨に

そしていくつもの夜の深さに遇った

それらの中を通り

やがてそれらをも素通りし

心を追っていった



脚とすれちがいざま そのまま

過去の方へ去っていく道端のどの景色も

見送る顔も

今まで脚の知らぬ世界のものだった

どんなになつかしくとも もう

走り出す前の自分に

もどれぬことはたしかだった



やがて つらさとともに

見失ったバランスが脚にもどってきた

脚は道の途中にうなだれて立った

耳鳴りも心も空の中からもどってきた



そして 落陽の時が深まるにつれ

追いつけずにうしろからついてきた人の影が

人を追い越して前に出るように

悲しみが

脚に追いつき

脚を追い越していった










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