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勝野睦人書附け  (一) [評論 等]



   勝野睦人書附け  (一)


   一、夭折の予感


 結果論的な物の言い方になるが、二十歳で死んだ勝野睦人は、詩

を書き始めた当初からすでに自分の夭折を予感し、その不安に絶え

ず魂をさわがせつつ、短い生涯を生きたように思われる。死後上梓

された「勝野睦人遺稿詩集」には、彼のほとんど全作品と言ってさ

しつかえない三十五篇の詩が収められてるが、それらの作品を読

みかえしながら、私は、しきりにそんなことを考えた。

 しかし事実問題としては、そういうことのありようはずはない。

詩人がどれほど自分の生き死にに敏感であり、詮ずるところ、詩の

究極のテーマが生と死の問題にあり、詩人は日々それらにむかいあ

って生きているとはいっても、それでもなお、自分に訪ずれる現実

の死に関して、あらかじめわれわれが持ち得る態度は、抽象的で漠

然としたものでしかありえない。とりわけ若者にあっては、彼が日

々どれほど死の観念に慣れ親しんでいようと、現実の死は依然とし

て遥か彼方のものとしてしか考えられないし、死に親しみ、死に心

をむかわせること自体が、自分の生存を信じ、死はその遠いはてに

しかないという実感を前提として、はじめて成り立つものであろ

う。「つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざり

しを」という業平の感慨は、われわれすべての者の実感であり、勝

野の場合も例外ではなかったはずである。

 しかしまた、われわれの素裸の魂は、しばしばわれわれの意識や

観念や思考を越えたところで、近づきつつある「運命」を予感し、

その不安にざわめきたつものでもある。インクの代りに彼の魂をも

ってし、紙上に書くべきところのものをじかに「生」の上に書き記

したとしか思えぬ彼の三十五篇の作品が、そのことを私に感じさせ

る。彼が書くに用いた魂のインクの跡は今もって乾いておらず、書

いた時の鮮かさでにじんでいるように思われる。











以下、二へ続きます。お待ちください。

   勝野睦人遺稿詩集はこちら
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