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短歌的抒情覚書 1  (その2) [評論 等]





 「日本における伝統の問題」(「文学」一九五九年五月号)に於て

広末保は伝統の問題について示唆に富む多くの発言をしているが、

短歌的抒情について考えようとする際に特に次の様な言葉が強く思

いおこされてくる。

 「ひとくちにいって日本の近代は『わび』や情緒性といった範

疇でしか伝統を発見しえなかったという向きがないか、という疑惑

である。近代の在り方によっては、日本の古典などももっとちがっ

てとらえられ、対決されるにふさわしく対決されて今日に伝わって

いたということがないか。『わび』的なもの、情緒的なものが一つの

大きい傾向として明治以前の世界にあり、それが大した否定的契機

をふくむことなく明治に伝えられたという面は、わたしもたしかに

あると思う。しかしまた、近代によって、そのようなものとして・

或いはそのような側面だけが一方的に拡大され伝統化されたという

面がはたしてないといえるだろうか。」「伝統とは『伝えられたとこ

ろのもの』であるが、何をさして『伝えられたところのもの』とみ

るか。半ば自己意志的な伝統ではある。従って恣意的に自由になる

ものではない。だが、それをいかなる形において顕在化するか。そ

れは相対的な対決の緊張関係によってはかられる。こうしてわれわ

れがいま日本的伝統というその伝統の内容は、日本近代の主体の問

題と全く無関係ではあり得ない。」












以下、1の(その3)に続きます。










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