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友だちの詩   (その2) [評論 等]





   魚         阿部弘一


 魚は 私たちの夢のなかにしか棲息できない まるで 夢のさざ

波 夢の濃淡 夢の襞が ふとそのまま泳ぎはじめて 魚の反りや

透明な骨骼となったように

 ある種のうなぎの産卵場所が不明であるように 人間の夢の深み

が どの迂路を通って どの河の淵 どの静寂 そしてどんな欠如

に結ばれているか 私たちには知ることができない また夢の外で

はどう魚を思い出してよいのかわからない

 だが あまりに夢が傾きすぎると 夢がひいたあとにはいくつか

の夢の断片が深さをたたえていて 魚影を秘めたまま 陽差しをさ

えぎる緑濃い木陰や切りとったどこかの高い空を いっそう鮮かに

映し出していたりするのだ そうして 夏の子供たちはしきりに

かん高い叫びをあげて小さな魚網をふりかざす



 これは阿部の連作「測量師」中の一作品であり『詩学』昭和四十

五年二月号に載った。阿部の力量と資質をいかんなく発揮した、彼

の作品の中でも最も優れたものの一つである。阿部はあまり作品を

書かない。書かないというよりも、書けないと言った方がよいかも

知れない。このことは彼の人柄と詩人としての生き方に関係してい

る。書くという行為は何処まで行っても果てしがなく、表現は結局

妥協の上に成り立つものであり、自分と妥協しない限りついに何も

のも表現できないのだが、この点に関して、とりわけて阿部は厳格

であり潔癖である。妥協を自分に許さない彼は、したがって、納得

のいかない作品を書くことができないのである。

 あたかもそれは、測量師が土地の測量に際して、測量柱を立て、

 細く潔癖な糸をぴんと張り、それをちょっとつまみ上げて土地を

たたくようなことをしたあと、測量機の小さなのぞき穴を何度もの

ぞいて、一分一厘の狂いもなく測量する、あの態度に似ている。阿

部は阿部自身の眼と耳と感覚と思考にもとづいて、人間や物の存

在、要するに世界そのものを、もう一度初めから正確に測量しなお

そうとしているわけである。











以下、その3へ続きます。



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