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友だちの詩   (その3) [評論 等]





 この作品を読んだ時、私は、今迄の阿部の作品にやや希薄であっ

たのびやかさとうるおいとが、ここにはあると思った。一語々々が

緊密に置かれ、表現の正確さという点でほとんど完璧であり、ちょ

うどたんねんに織られた紬のようなしまりを持っている。一語々々

が自己完結しており、そのことによってそれぞれの語が互いに自己

主張をやめ、むしろ自己を消し去り、消し去ることによって、実は

互いに他の語と呼び交わし、互いのイメージに響き合い、透明であ

りつつ深い陰影を持つ世界をつくり上げている。

 「まるで夢のさざ波 夢の濃淡 夢の襞が ふとそのまま泳ぎは

じめて 魚の反りや透明な骨骼になったように……」という詩句

は、とりわけて陰影の深さとそれでいて過度に透明な世界を鮮かに

形象化している。阿部はフランシス・ポンジュに深い関心を持って

いて、十年程前に『物の味方』を翻訳上梓した。翻訳にあたって、

阿部は詩を創る時と同じ態度で時間をかけ、たんねんな努力を積み

重ねた。私にも優れた訳しようをしていることがよくわかった。引

用した詩にはポンジュの見方の影響がなにがしかあるのかも知れな

い。また、ピエール・ガスカール(このフランスの作家の作品を私

は愛読している)の『魅惑』の中の「魚」の章に描かれた世界に似

たものを私は感じる。そういうことがあるとしても、ここに表現さ

れた世界は阿部独自の世界である。たんねんでこまやかで冷徹な洞

察に貫ぬかれ、主観におもむくことなく、それでいてどこかしら

「生」の物悲しさと不安をたたえている。「夏の子供たちはしきり

に かん高い叫びをあげて小さな魚網をふりかざす」という終結部

には、目覚めぎわの言うに言われぬ物悲しさに似た余韻が、何時消

えるともなく長く尾を曳いて、魂をゆすりつづける。













以下、その4に続きます。





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