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友だちの詩   (その5) [評論 等]





 引用した詩は、嶋岡のそういう柔らかい魂がとらえた作品であ

る。「風が吹くと象はビスケットのように小さくなって、森のむこ

うに消えていった。象牙をひろう少女たちの幻をえがきながら…

…。」という詩句などは、「象は長い鼻をまっすぐにのばしなが

ら」(この「まっすぐに」という表現が、「ビスケットのように小

さくなって」という比喩表現と共に実にいい)という象のイメージ

に重なって心に焼きつき、私は非常に感動して読んだ。眼の裏が熱

くなるのを感じさえした。しかし作者嶋岡は内に感動をわきたたせ

ながら、その感動に足をすくわれるということをしていない。たん

ねんに読んでみると、作者の眼が鋭く緻密にくばられ、表現の隅々

に至るまで神経がこまかく使われていることに気づく。おそらくこ

の作品は、若い頃の嶋岡が、何とも言い表わしようのない感動のわ

きたちを、押え押えして描いたのだろう。これは作ったと言うより

は、おのずから成ったといった方がよい作品であり、それ故に天衣

無縫とでも言うほかはない形象のみずみずしさを持っているのだ

が、そうしたみずみずしいイメージの洪水の中にあって、嶋岡は

「しんじつのぼく」を見きわめようとする冷徹な眼を失わず、しか

も同時に「かれの二つのつぶらな眼にも、かれ自身のすがたは見え

なかった」という自己批評を併置することも忘れていない。

 この作品のテーマを一口で言い表わすのはむずかしい。表現は平

易であり、表現されている事柄も、あからさまな「思想」を主張し

ているようなものは一つとしてない。それ故にこそこの作品はまぎ

れようもなく詩なのであり、こういう詩そのもののような作品を書

くことが、どれほどむずかしいかということも、私は次第に知るよ

うになっていった。














以下、その6に続きます。



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