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友だちの詩   (その6) [評論 等]





  悪い声               片岡 文雄


悪いおれの声が四つ足の動物を産んでしまった

困ってうなだれたおれをのせ 牛は低くとおくへ吼える

明日はかならず目的地に着くといのり

夕ぐれの地平を姿のままに押していく



悪いおれの声が鳥をめざませてしまった

鳥はおれの瞼を梢にひっかけ飛んでいった

梢にはひとつの雲が毛布のようになびいていた

それは古い古いいちまいの赤い雲であった



悪い声はあとからあとから噴きこぼれ

ものみな乱れる海をうたい

伸びなやむ樹木の成長を その願いのひとつともした



悪いおれの声だが おれをやしなった

これがなければ おれは手もなく石となる

牛や鳥よ おれのよごれた涙をたべてながらえてくれ



 片岡の第一詩集『帰巣』に収められている作品である。しかしこ

れを私は詩集で読む以前に読んでいた。もうずい分前のことで、私

が学生であった頃のことである。その頃の私は何時も滅入るような

気持で人気のない通りをひろって歩いていた。自分がいやでいやで

たまらず、絶えず背筋に不安のさし込むのを感じていた。そうして

歩いている途中、たまたま立ち寄った本屋で、たしか創元社が出し

ていたシリーズ物の中の一冊にこの作品が載っているのをみつけ、

私は立ち読みをした。そしてたちどころに言いようのない感動を覚

えたことを、今もはっきりと記憶している。

 この雑文を書くについて私は改めて『帰巣』を読み返したが、引

用した作品をも含めて、なんと片岡はひたむきに詩に精進していた

のだろうと思った。当時の片岡は私たちの仲間うちでも一番貧乏

で、大井の「掘立小屋」と自ら呼んでいた小家に一人で住んでい

た。しかし律気である点で誰よりも勝り、心のあたたかさといった

ら、冬でもまわりの者がほてってくるくらいであった。この詩には

そういう片岡の人間性が、一種独特の口ごもった語り口を通しては

っきりと表現されている。彼は常に自分の魂を傷つけつつうたう。

 「牛や鳥よ おれのよごれた涙をたべてながらえてくれ」という

詩句には、若い日の片岡の、そして今日においても一貫して変らな

い彼の苦渋と、せつなさと苦しみと、しかしそれらのもろもろに耐

えつつどこまでも押し貫ぬこうとする彼の愛とが、はっきりと純粋

に表現されている。











 「詩学」 S48年 11月号



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