SSブログ

石原吉郎書附け 一 点燭 (その4) [評論 等]





 私はこの小文の初めに、詩的覚醒の時点ですでに、石

原氏が詩を通して明らかにすべき世界は、明確に予感さ

れ自覚されていたとみてさしつかえない、と書いたが、

それはつまり、「見たもの」がすでにはっきりと石原氏

の内にあった、詩との邂逅以前にすでに石原氏の内に詩

的表現を与えられるべき世界は整えられていた、という

ことなのである。「この見たもの」をいかにして「見た

とい」うか、つまり「見たもの」を事実に即していかに

的確に表現し形象化するか、この難問を解決するものと

してやがて石原氏の前に詩がたち現われていたのであっ

った。詩との出会いが、石原氏にとってほとんど決定的、

根源的な意味合いを持つゆえんである。

 したがって石原氏にとって、なぜ詩を書かねばならな

いか、何を詩に表現しようとしているのであるかーー即

ち詩を書く意味が最も明らかな形で見えもし、自覚され

もしていたのは、詩的覚醒の始原点(詩的点燭の時点)

であったと言えるだろう。その後の石原氏の詩作、『石

原吉郎詩集』に収められた作品のすべてが、この詩的覚

醒の始原点への絶えざる遡行と確認という姿で営まれて

いる。そして遡行と確認が同時に発展であり、新たな発

見、出発につながるという点に、石原詩のきわだった特

徴をみることができる。













以下、ニの(その1)に続きます。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。