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石原吉郎書附け 二 最もよき私自身 (その1) [評論 等]





 点燭によって石原氏は何を見、何に気づいたか。それ

は「対峙が始まるや否や、その一方が自動的に人間でな

くなるような……そのような関係が不断に拡大再生産さ

れる一種の日常性」であり、しかも自分がその中に「今

も生きている」という事実、そして「最もよき私自身」

が見失なわれてしまったということの発見であった。

 「〈すなわち最もよき人びとは帰っては来なかった〉。

〈夜と霧〉の冒頭へフランクルがさし挿んだこの言葉

を、かつて疼くような思いで読んだ。あるいは、こうい

うこともできるであろう。〈最もよき私自身も帰っては

こなかった〉と。今なお私が、異常なまでにシベリヤに

執着する理由は、ただひとつそのことによる。(以下略)」

(詩集「サンチョ・パンサの帰郷」あとがき)

 帰ってこなかった「最もよき私自身」或いは「最もよ

き人びと」の奪回・回復こそが、石原詩を貫ぬく基本テ

ーマである。詩的覚醒の始源点(詩的点燭の時点)への

絶えざる遡行と確認が行なわれるのも、その時点が「直

接に人間としてうずくまる場所」であったからであり、

「そのような場所でじかに自分自身と肩をふれあった記

憶が、〈人間であった〉という、私にとってかけがえの

ない出来事の内容」(同詩集あとがき)を持っているから

である。











以下、ニのその2へ続きます。



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