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石垣りん詩集『表札など』など   (その1)   [評論 等]





   石垣りん詩集『表札など』など



 弔詞

   職場新聞に掲載された一〇五名の

   戦没者名簿に寄せて



 ここに書かれたひとつの名前から、ひとり

の人が立ちあがる。



 ああ あなたでしたね。

 あなたも死んだのでしたね。



 活字にすれば四つか五つ。その向こうにあ

 るひとつのいのち。悲惨にとぢられたひと

 りの人生。



 たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な

若い女性。一九四五年三月十日の大空襲に、

母親と抱き合って、ドブの中で死んでいた、

私の仲間。



あなたはいま、

どのような眠りを、

眠っているだろうか。

そして私はどのように、さめているというのか?



死者の記憶が遠ざかるとき、

同じ速度で、死は私たちに近づく。

戦争が終って二十年。もうここに並んだ死者たちのこと

 を、覚えている人も職場に少ない。



死者は静かに立ちあがる。

さみしい笑顔で

この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発(た)とう

 としている。



私は呼びかける。

西脇さん、

水町さん、

みんな、ここへ戻って下さい。

どのようにして

死なねばならなかったか。語って

下さい。



戦争の記憶が遠ざかるとき、

戦争がきた

私たちに近づく。

そうでなければ良い



八月十五日。

眠っているのは私たち。

苦しみにさめているのは

あなたたち。

行かないで下さい、皆さん、どうかここに居て下さい。



 人はこの詩からどのような感動を受けとる

だろうか。(行分けせずに採録したことを作

者にわびたいと思う。)おそらく人々は、人

間の美しさやかがやかしさを、心ふるわせな

がらここに読みとるだろう。そして人間の真

実の生き方はどうあるべきかについて、改め

て思いをいたすだろうと思う。そうさせる力

をこの詩は持っている。石垣氏は、死んでい

った人たちを中心に据えて語っている。ほと

んど彼らだけを語っている。語りくちは静か

であり、つつましやかであり、口ごもってさ

えいるかにみえる。絶叫や、ことごとしい

「思想」のふりまわしはみられない。追悼と

愛惜の情の深さがそうさせたのにちがいな

い。静かな語りかけを通して、やがてこの詩

は、私たちに、人間の美しさやかがやかしさ

を葬り去る戦争について深く考えさせていく

のである。











以下、その2へ続きます。

 「詩学」 1969(S44)年 1月号

 雑誌では石垣りん詩集の、んの字が欠字になっています。

 詩は行分けしました。



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