三冊の詩集 (その1) [評論 等]
『三冊の詩集』
『徳永民平詩集』 (思潮社刊)
巻末の著者略歴によれば、この詩人の生年
は一九二五年である。年四十四才というとこ
ろだろうか。私は詩人の年令の問題にしない
し、ましてや年令の多寡をもって作品を論じ
ようとは思わない。しかしこの詩集に収録さ
れた詩の多くが、詩人の年令に比較して若々
しく、柔軟な詩情を湛えていることに感銘し
たことを、私は率直に書かねばならない。徳
田氏は、ほとんど少年のものとも言える素裸
の魂と羞恥の心を持っている。含羞は美徳で
あると私は信じている。なぜならそれは人間
の眼をくもらせることがないし、私達の心の
窓を世界にむかって開かせ続け、同時に、自
分自身の姿をも絶えず凝視させつずけるから
だ。羞恥の底には際限を知らぬ自己批評がひ
そんでいるし、完璧を願う願いの高さが隠さ
れている。そして羞恥は、私達の魂から概念
の塵をぬぐい去り、世界と事物を常に新鮮な
ものとして映し出す。
「詩学」 1969(S44)年 2,3月号
以下、その2へ続きます。
2015-08-07 20:25
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