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詩集『幻影哀歌』など   (その7) [評論 等]





    絵画



 朝は冷たい苺を

 わたしの中に落した

 紫色の立ちくらみをしながら

 テーブルに沈みこんだレモンと

 お皿に埋まっている魚のことを思う



 おお 優しさはなんと重いのだろう

 このレモンや魚や

 そしてまた足元に横たわっている眩暈など

 それらのための絵具の匂いは

 少しも腐敗していない
 
 きみのキャンバスが暗ければ暗いほど

 その絵の中にわたしがはっきりと映る



 朝の苺よ

 冷たいままで

 わたしの中に残りなさい



 

 この作品は日登氏の詩世界を最もよく表わ

しているものの一つである。この詩人の感受

性の豊かさと、ポエジイの澄明さ新鮮さ優し

さといったものが充分に感じとれる。しかし

同時に、美しさや優しさの底にひそむ一種の

脆さやあぶなさをも予感させる。私がここで

言う脆さ・あぶなさとは、「朝の苺」が「冷

いままで」いつまで日登氏の「中に残り」つ

ずけるだろうかということにかかわって出て

くる危惧である。現在日登氏は柔軟な感受性

を持っている。そして日登氏の持つ柔軟さが

世界を自分の素肌でじかに捉え、特定の観念

の限定を受けないことによって得られたもの

であることは前述した。(特定の観念の限定

を受けずに得られたものこそが、実は最も明

析にその詩人の観念世界を表わすものである

ということを承知した上で私は言う)その点

に日登氏独自の美点もあるのだが、その美点

は同時に、感受性の柔軟さが褪せると共に凋

落してしまいかねない脆さ・あぶなさをも孕

んでいる。美には本来そういうあぶなさに遊

ぶ性質があるわけであり、脆さや失せ易さと

の微妙な均衡の上に、かろうじて保たれるも

のだが、日登氏の場合、その妙なる均衡をど

こまで保っていけるか、正直に言ってこの詩

集だけでは何とも言えないし、私には予測す

ることができない。











以下、その8へ続きます。



タグ: 絵画 日登
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