SSブログ

米田和夫詩集 緒方利雄詩集   (その5) [評論 等]





 緒方利雄詩集『風習』

 緒方氏は「あとがき」で「現在、私の地方

性叙情詩は『国鉄詩人』では問題外として処

理さえています。労働者は社会に迎合する作

品を書いてはならないと云う、つまり政治主

義を基盤にした作品を書けと云う。現体制を

肯定しないまでも抒情詩しか書けない、それ

は私の弱みであり、苦悩でもあります。」と

書いているが、決してそんなことはないので

ある。労働者であるなしにかかわらず、詩人

はすべて「社会に迎合する作品を書いてはな

らない」のだが、しかしそのことはただちに

「政治主義を基盤とした作品」を書かなけれ

ばならない、ということにはならない。抒情

詩という場合、その質が、問題になるが、

「抒情詩しか書けない」ことは、決して自身

の「弱み」であるわけがない。自己の「弱

み」や「苦悩」を素通りして、皮相な「政治

主義」に走ることそのことこそが本当の「弱

み」なのだ。緒方氏が自己の「弱み」として

恥じているものこそが、現実をうたい貧困を

うたい地方性や「風習」や「因習」をうたっ

た氏自身の諸詩篇を、美しく力づよく輝かし

いものにしている源動力なのだ。もし本当に

「国鉄詩人」の中に「政治主義を基礎にした

作品を書け」というような風潮が存在するの

だとしたら、そういう考えは迷妄であり、迷

妄を打破することに於て緒方氏は逡巡しては

ならないだろう。私は緒方氏の作品を読んだ

上で右のことを言っているのである。











以下、その6へ続きます。

(管理人注) 雑誌では途中から緒方氏のことが米田氏と誤記されていると思いますのでこちらでは緒方氏に直しています。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。