否定的な感想 (その3) [評論 等]
文岸と空詩集『ボラの音』(近畿文芸社)
をも、私は遊戯性の著しいものとして拒否し
なければならない。
逃げられようか
しゃれこうべ笑う 大地の底
うつる影 太陽の外で奏でる夕べに
追われるはづではない
おまえ自身死を宣告したとて
追うべきはづのおまえの歯車
喫茶店の煙で空転
森の陽溜りで空転
大脳に余分の油がないのも
おまえの悪戯であるのか
(「はたんちよう運命」)
これを私は詩と認めることができない、
「ぼってら、お尻を浮かして/泥酔セリフ/
『あたいが ヒロインよ』/それで 桟敷は
ラブのカンカン虫」(プロダクション オ
ブ ラブ」部分)に至っては、作者の安易な
人生態度そのものを私は峻拒しなくてはなら
ない。たまたまこの詩集に横田英子氏が跋文
を書いているが、そこにこういう言葉があっ
て私として賛成しかねる。「何か得体のしれ
ない渦を感じさせる。未知数に対する愉しみ
につながるものであることは確かだ」云々。
『ボラの音』収録の作品に関する限り、「何
か得体のしれない」ものは感じても、「未知
数に対する愉しみにつながるもの」は決して
感じられない。跋文が儀礼的になりがちであ
ることは私も知っているし、それをあながち
悪いこととは思わない。しかし、否定すべき
ものや批判すべき点は、はっきりと否定し批
判することこそが、礼儀にかなったやり方で
あるだろう。微温的で当りさわりのない相互
交流は何ものをも産まない。私は、両氏が詩
に対する微温的な考えを放擲し、詩とは何か
を自己にむかって真剣に問うように心から願
う。
以下、その4へ続きます。
2016-01-30 18:55
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