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否定的な感想   (その3) [評論 等]

 



   文岸と空詩集『ボラの音』(近畿文芸社)

をも、私は遊戯性の著しいものとして拒否し

なければならない。



 逃げられようか

 しゃれこうべ笑う 大地の底

 うつる影 太陽の外で奏でる夕べに

 追われるはづではない

 おまえ自身死を宣告したとて

 追うべきはづのおまえの歯車

 喫茶店の煙で空転
 
 森の陽溜りで空転

 大脳に余分の油がないのも

 おまえの悪戯であるのか



   (「はたんちよう運命」)



 これを私は詩と認めることができない、

「ぼってら、お尻を浮かして/泥酔セリフ/

『あたいが ヒロインよ』/それで 桟敷は

ラブのカンカン虫」(プロダクション オ

ブ ラブ」部分)に至っては、作者の安易な

人生態度そのものを私は峻拒しなくてはなら

ない。たまたまこの詩集に横田英子氏が跋文

を書いているが、そこにこういう言葉があっ

て私として賛成しかねる。「何か得体のしれ

ない渦を感じさせる。未知数に対する愉しみ

につながるものであることは確かだ」云々。

『ボラの音』収録の作品に関する限り、「何

か得体のしれない」ものは感じても、「未知

数に対する愉しみにつながるもの」は決して

感じられない。跋文が儀礼的になりがちであ

ることは私も知っているし、それをあながち

悪いこととは思わない。しかし、否定すべき

ものや批判すべき点は、はっきりと否定し批

判することこそが、礼儀にかなったやり方で

あるだろう。微温的で当りさわりのない相互

交流は何ものをも産まない。私は、両氏が詩

に対する微温的な考えを放擲し、詩とは何か

を自己にむかって真剣に問うように心から願

う。











以下、その4へ続きます。



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