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鳥見迅彦詩集『なだれみち』など  (その5) [評論 等]





    泉沢浩志句集『風見鶏前後』

 「ここに収録した作品の大半は、さきの句

集『風見鶏』(一九五四年刊)の制作と同じ

時期のものである。Ⅰは戦時、Ⅱは戦後のほ

ぼ十にわたる作品である。」全文これだけ

の短い「あとがき」が、泉沢氏の句作に関する

いわば詞等として、私に与えられた唯一のも

のである。だが詞は作品鑑賞にとって必ずし

も必要ではない。それよりも、全くの素人読

みしか出来ない私の側にこそ問題があると言

うべきだろう。





 干す下駄に笹の陽炎移りけり



 風見鶏すこし巡りぬ花曇



 百語り春灯(ともし)みまたたける



 棄て煙艸かぎろひつつも消えにけり



 春泥や風の一ト筋かがやけり



 病める手のうつし絵淡し春灯



 戦遠し古りし夏帽目深にす



 盲ひ女の肩の兜も夕焼くる



 二の腕の入墨青し竹簾



 頬白の頬ふくらまし覚めゐた



 爽かや六分目のこす薬瓶

 

 凍つる手に羽根摑ませて埋めしとや(Y女逝去)



 眼帯のずれし隈より春惜しむ



 掌に溜める青き泪の螢かな(三井義一追悼)



 秋風やなにか翳りしひとところ



 別れても背に冬木影あるごとし



 初泣きやはやも母系の目鼻立ち



 手鞠児の片手はいつもふところに





 集中のこれらの作品を私は評価する。「す

こし巡りぬ」「風の一ト筋」「うつし絵淡し」

「古りし夏帽目深にす」「入墨青し」「頬ふく

らまし」「六分目のこす」「羽根摑ませて」「青

き涙の螢」「翳りしひとところ」「冬木影」「片

手はいつもふところ」等の表現は、それぞれ

の句の中で大切な詩句として重い役割を果し

ている。これらの句に於ける泉沢氏は物をそ

の微細な点に至るまでよく見ており、氏の繊

細な神経と清澄な美意識が充分に働いている

と言えるだろう。そしてそれら繊細な神経や

美意識の奥には、人間に対するあたたかな眼

が見開かれている。人間的なあたたかさはと

りわけ追悼句に端適な形で表われているが、

引用句中のいわば写生的傾向の作品からも、

ーー「陽炎」の移りゆきや「風見鶏」や「煙

艸」の消え具合からも、「頬白の頬」からも

私は感じることができる。











以下、その6へ続きます。




 
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