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愚かな乙女 [町のノオト]

   愚かな乙女

          ここに処女(おとめ)みな起きてその燈火(ともしび)を整えたるに、

          愚かなる者は慧(さと)きものに言う「なんじらの油を

          分けあたへよ、我らの燈火きゆるなり」

                           ーーマタイ伝㐧二十五章


空一面からふりおちた火山灰の重たさに埋ずめられ

またその底から掘り出されたポンペイの市。

雨にもみゆすがれ 風に吹きくずされたギリシャ ローマ。

それから古代の石の都市。

半開きの窓ガラス。ころがっている壺。

闘牛場。はりめぐらされた白い石畳の路。

円柱の間からのぞいている空。いってしまった神話。

しかしふりおとされたまま

立ちあがらない人々と共に

古代の瞳孔にしみこんでいた空も海も

同じ色では もうふたたび 

たちあがらない。



それなのに君は 時間からとり残され

古い世界の真中にぽっんとたたずみ

すすりあげている

君のわきを通りぬけながら

君を見てわらったものも

もらい泣きしたのも みんな

連れだってそっくり地平の向う側へ行ってしまったのに。

道のはずれを眼の前にして

君には歩いて行くことができないのだ。



道のはずれから

君にむかってゆれながらやってきたはじめての燈火(ともしび)の

不思議な色のおどろきに

瞳をあんまりみひらきすぎ

心を傾けすぎたので

あんなにも長い間 皮膚でくるみ 大事にかかえていた壺を

 ころげ落し

ためていた「あぶら」をこぼしてしまった。



キリストの蒼い横眼が 君の心をのぞきこみ

十字架の影がななめにおちかかった

キリストは男のつめたい吐息で

燈火をふき消してしまったのだ。



その時から二千年もの長い間

重たい地層の底をしみとうりながら

フィルムのようにつたわりめぐっている

すすりあげの声



あんまりこみあげたので

君の心にはなんにもなくなってしまった。

もう涙もたまっていない。

すき透ったうすい皮膚の内(なか)に

もみ消されたローソクが一本

そこから足跡のつけられていない道が

乾いてひろがっているだけだ。



ふき消された燈火(ともしび)は もう

ふたたびもえあがらない。

君のゆがんだべそかき顔は もうふただびゆるむことがない。

すすりなきの声は ふたたびたぐりよせられしまわれること

 がない。

こんなにもたくさん涙がながされたのに

空はもとの色にぬぐわれない。

飢えたほこりっぽい色で

窓ガラスは 水平線をうつさない。

ああ あれから何回となく季節は過ぎ去って

君のうしろの景色をかき変えていった。

古い背景に二重すかしに重なる新しい背景。

やがて それは浮きあがってきて 

古い景色をもみおとしてゆく。



君をこらしめたキリストも

今頃は十字架からそっとぬけ出し

どこか遠くの木蔭に 異邦人のように蒼白い身を横たえながら

君をとっくにゆるし

君をなつかしんいでさえいるのに

君の心におちかかった十字架も

今は せりあがった尖塔のいただきに

螢光燈で小さくゆれているのに

君はいつまでも正直に立ちつくしたまま

体全体ですすりあげられている。



何がそんなにかなしいのだ。

何がそんなに君を

ぬぐいきれない傷できずつけたのだ。



「愚かな乙女」よ。

また君のすすりなきが尾をひいて

耳の底にきこえてくる。

そのいいべそかき顔がはっきり見える。

日本中の心の奥にも

立ちつくしている

「愚かな乙女」よ。





                 



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