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詩集 町のノオト 目次 [町のノオト]

あとがき [町のノオト]




   あとがき


 一九五二、三年頃から今年までの間に作つたもののうちから選んだ。こ

うしてまとめてみてはつきりしたことは、これらが言わば「ノオト」のノ

オトに過ぎないようなものばかりであるということだ。僕としては新しい

ノオトを用意していきたいと思う。

 上梓について色々世話になり、装幀や跋まで書いてくれた嶋岡晨、「貘」

の大野純、片岡文雄、阿部弘一、校正をしてくれた斎藤登、山本良一の諸友

にお礼をのべたい。

 一九五八年八月九日

                                          笹原常与






  注:校正をしてくれたのところ、く が脱字になっていたと思われるのでつけくわえました。



跋   嶋岡 晨 [町のノオト]


   跋


 この詩集の原稿を整理してぼくのところへもつてきたとき、笹原はまだ総

題をつけていなかった。一つ一つの詩篇の中から適当なものを選んで、その

題を総題にしたがよかろうということになり、ぼくが「ソルベーグの歌」か

「聴覚」がいいんじゃないか、と言つてもあまり気乗りしないようなので、

「それじゃ『町のノオト』かい?」というと、「うん、それがいいじゃない

かと思うんだ。」とはずんだ声で答えた。「やつぱりこれが笹原らしくてい

いだろうな。」というわけで「町のノオト」にきまった。ぼくはそれからか

れとトランプをし、(よっぽど「町」というやつが好きなんだ)と思いなが

ら、自分の持札にジョーカーがきてるのをよろこんだ。

 総題にした「町のノオト」の題をもつ一篇には、笹原のすべてがあるとい

つてもいいだろう。きわめて微妙なしずかさ、かすかにだがまんべんなくな

がれている不安、いたるところに空気のようにひろがっている「生」のかな

しみ、そしてあらゆる「物」のなかに自分を溶かしこみ、しみこんでいく詩

心、それは笹原の住んでいる、工場の煙突の林にかこまれた川のあるわびし

い下町を、こまやかな愛情をもつて包んでいる。かれの言葉とイメージは、

ぼくたちにしたしみやすく、ぼくたちのかたくなな心をやさしくときほぐし

て、しかも思いがけなくするどい「真実」の刄をつきつけてくる。かれの内

部を支えている詩的形而上学は、現実の背後に発見されるミクロコスモスを、

やさしいまなざしをもつ冷静さで、人と人とのつながりにある歪んだ愛のレ

ンズの面に拡大する。いわばかれは、レアリスト・ファンタスティックだ。

 ぼくが大野純、片岡文雄、餌取定三らと「貘」という雑誌をはじめてしば

らくしたころ、「詩学」の応募作品に「黒人霊歌」という美しいペーソスを

たたえた詩が混つていて、これがぼくの注意を強くひき、この作者に一緒に

「貘」をやつてもらおうじゃないかということになった。会合のときにあら

われた作者は、ぼくたちと同年輩のくせにまだ少年のような色白の美男子で、

女の話をするとすぐに顔をあからめるほどの純潔さをもつてい、ぼくらの

「ホラ」もつつましく素直に受け入れる人物で、早稲田の国文科の学生だつ

た。

 「ぼく、笹原常与です。よろしく。」かれはこの最初の挨拶のときから、

妙にひとの胸の底にしのびこんでくる「孤独感」を発散させていた。表面の

柔和さにくらべてシンに頑固な自分をもつているかれの性格を、長いつきあ

いのうちにだんだん理解してくるにつれて、ますますこの「孤独感」ははつ

きりしたものになつている。かれは「貘」のなかでも最も自分の色彩に忠実

で、ぼくの行き方に対してもかなり批判的なようだ。そんなしつかりした信

念があるので、どこかの匿名悪口屋に「おやつ詩人」だといわれると、すす

んで自分の詩に「おやつ詩」と名づけている寛容な勇気としてやれた反抗的

態度とを示すことができるのだ。

 この詩集はけっして華やかな、ひとを驚かすようなものではない。低い声

でしみじみと語りかけるので、せつかちな読者はつい聞きもらしてしまうか

もしれない。しかし、かえつてそれゆえに、誰にもない笹原常与の世界を確

実に存在させているのである。

 一九五八年夏

                                         嶋岡 晨



  




 嶋岡晨先生に掲載の許諾を頂きました。






町のノオト [町のノオト]




   町のノオト


なにもかもちがう と

空の青さの中で

あぶなそうな平衡を支えながら言うのだ



町はこんな狭い路に沿って

蔭とむきあったままだまりこくってはいなかった

長いうなじをふりながら

かげり始めた町の片側を

重い荷を曳いて通っていく馬の瞳には

こんな深いあわれな色がよどんではいなかった



そして俺は 切りぬかれた影絵のようなこんな姿で

見送っているだけの俺ではなかった

これらの姿をだまって包んでいる深い空に俺は

くらやみの底から涙を吸いとらせたのではなかった



ーー空気を透してはじめて景色にふれた景色にふれた瞳をしばたいて

めくらだった彼はさびしそうに言うのだ



ぼくはそれを道のはずれに置き忘れてきた

自分の声のようにききながら

瞳からしみこんできた景色によって

彼の中で長い間ゆすがれていた空や町や人間の形が

次㐧にずれていくのを そして

いつまでも直線に結びつくことのない

ガラスのズレのような間を 再び薄明の奥へ

次㐧に小さくなりながら遠ざかっていく

彼の後姿を 心に切りとりながらも

何処かとんでもなく遠い果てから帰ってきたように

あわれな馬たちの通っていく

ぼくらの小さな町へ帰ってくるよりほかなかったのだ






タグ:町のノオト

めくら [町のノオト]



   めくら


私は薄ガラスの向うの世界

ガラスの表面で青葉の枝々が 夏の風にゆれ動いている

しかし私には蔭の感触があるだけだ

どんなに晴れていても 直接陽のさしこまない世界



遠くで花火の開く音がする

しかし何時まで待っても明るくならない

ガラスの表面がこきざみにふるえているだけだ

そしてその後にはいくら素手で払いのけても

じっと動かない空白が降りている



私の肩の上にはつめたいくらいに深い空が載っている

しかし しみこんではこない

青さの奥を太陽が不安な顔のように裸足で通って行く

けれども私の中を通り過ぎて行くのは さわやかな夏の蔭

見えない負の風ひんやりした肌ざわり

そして風のもってくるかすかな匂だけ



馬のまなこによどんでいる海の匂

遠く地平の向側に降っている 雪の匂

或いは 記憶の中の夏の街角にまかれた水の匂

病院の匂

ーーそして蔭も匂も一日だけとどまっていて

消毒液のように消えていく



 あわただしく夢を追いかけてやってくる者の気配しかも私

の中へは入ってこないで私がしんと立っているのに気づいて

不意に立ち止まりやがてひっ返していく足音の谺だけ



 時たままぎれこんでくる夢も私の中にも夢を捕えようと待

ちぶせている者の居ることに気づき私の真空の世界から逃れ

ようとしてはばたきやがてかすかな翅音だけを残して去って

いく



ああ人々は知らない

青葉の枝々のゆれ動いている向うの

誰もやってこない広場のような私の中に

紫外線をさえぎる透明な膜がひかれた時から

待たされている者の居ることを

かくれ場所が見つからなかったかくれんぼの子が

誤まってかくれに来て そのままかくれ続けていることを

その子も捕虫網で夢を捕えたがっていることを

太陽を海を風を素手でつかまえたがっていることを

何よりもかくれ場所からとび出して

大声で鬼に見つけられたがっていることを

しきりに 夕焼けのにじんだ網膜を

ガーゼで洗っている者のいることを











電線 [町のノオト]




   電線


電線の中を人が通る

死んだ人

死にそうな子供たち

ルッソオのような人などが

白い顔をして だまって通る



雨あがりの日

かげった片側の路ばかり歩いていた唖の男が

街角に出てきて 車にひかれた

その男の耳にきこえない叫び声のような白い顔が

こうもり傘をさしたまま通っていく



山のむこうの 誰も住んでいない発電所の深い湖で

誰にも知られずに溺れている子の声が通っていく

今しがた水からあがった鋭い叫びが

唇を紫色にふるわせて

髪や着物のさきから滴をしたたらしながら

何も知らずにいる母親の 夢の芝生をぬらしに走っていくのだ

(電線の中でその子の影もぬれている)



眼をつむると 耳の底に

電線をはった者の行きつく所のない淋しそうな叫びが

深い空のようにおりてくる

その澄んだ色を透してはっきり見える

誰も通らない長い土手が

土手のはずれに浪立っている北の海が

海からあがってきたはじまる道

誰にも知られずに雪が降ったり止んだりしている

記憶の果てのような北の国の遠い道が

ーーそんな誰も行ったことのない果てまで

電線の続いている光景が



眼をひらくと 電線は

そんな遠くに住む人々のさまざまな声や顔をひそめて

僕らの頭上を越え さらに何処か遠くへ走っている

そうして 僕の心の曠野でも

電線は風に遠く鳴っている

曠野の真中で 眼を細め

電線の中の声に耳をすましている者の

叫びのような白い顔が

帽子の下に立っている






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無表情な顔 [町のノオト]




   無表情な顔


 もうみんな去(い)ってしまって誰もいないのだ そいつの笑い

顔も泣き顔も去ってしまったのに そいつの無表情だけが取

り残されたように沼のほとりにしゃがみこんでいる 釣をし

ているふりをしているが釣などしてはいないのだ そいつの

死んだ眼は何も見ているはずはないのだが それでいて何も

かも見逃していない眼つきだ そして死んだような深さを湛

えた水面をつめたい風がゆすっていくとき 沼の底でそいつ

の無表情な顔は にやりと笑うようにゆれるのだ

 だが ひよっとするとそいつは まったく思いがけぬ時 不

意に ふり返って見るかも知れないのだ その無表情な顔で






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消失 [町のノオト]




   消失


ぼくらの瞳がうつしたことのない遠くの時間が

地平の起伏と共に ぼくらの肋骨の柵のむこうに 海のよう

 に沈殿している

そのレントゲンのような深いよどみの底に

身を横たえていた北京原人が

ある日音もなくおきあがると 影がずれていくように

うすガラスの透明さで ぼくらの皮膚からぬけ出していった



街路樹の一本一本をもみほぐし ゆずぎ出した深い空

風たちはだまってすれちがった

日蝕のはじまる直前のあわただしさで

鳥たちは喉を細めて鳴きながら 地平のはずれへとんでいっ

 た



すきまだらけの景色をうずめようとして

引力は血清のように澄み透りながら 生きものたちの背後に

 おりていった

すべての存在は不安そうに 「自分」をたしかめるためにふ

 りかえった

その時 彼らの瞳孔の中心に 去っていくものの姿がはっき

 り見えた



皮膚のぬくみをぬけだし

満員電車のドアから つめたいビルの窓や屋上からはい出し

 た北京原人たちは

外気にふれるとすっかりやせて 骨だけになっていた

寒さに歯や関節をならし まばらな肋骨の間から

海のように古い伝統をのぞかせて

互に声もなく仲間をよびあいながら 次㐧にふえていったそ

 の列は

水平線を越えて 地球のまるみのはてからぼんやりと消えた



だが人間達はふり返らなかった

からになった標本室に映っている水平線は浪立っているばか

 り

人々は厭きもせず互に憎しみあいながら

ばらばらになって街角を歩いていた

地球はひっそりと それらの景色をしょいこんで

長い時間をまわっていた






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 [町のノオト]




   夢

       (夢? 夢なんてあるもんか。とけてしまった冷蔵庫の中の
 
      氷。こぼしてしまった水。底の方に遠い距離がのぞいている

      がつかまえようとすれば冷たさが残るだけだ。)


夢はすずしい マイナスの世界だ

赤らんだ夢白い夢黄色い夢ずれた夢

音のしない火事のように近くの夢話し声のする遠い夢



どこまで行っても先へ先へ

きりのない路のように

どんなにむきになって走って行っても

ほっとして立ち止まる到着点のない

人生のように

夢は果てしないさわやかな距離だ



歩き疲れたひるまから夕暮の中へ

まぶたの向こうへ夜のはじまるほの明るい地平へ

人は白い路をたどって帰っていく

日なたから日かげの奥へひんやり入って行くように

(ひるまの景色をひやしているつぶらなまなこをひらいて)



 日かげの奥から日なたの景色をふり返ってみると美しい日

かげの奥には誰も歩いたことのない地図があるぼくらは裸足

で遠くとおく角笛の消えていった明るさの方へ歩きまわるた

だ帰らないために足跡をつけないで



けれども呼びもどされる 朝に

けれども夢の中へ出かけて行った者は

帰らない

ぼくら自身が眼をさまされたに過ぎない

ぼくらは夢の中へなど入っていったのではないことを

日かげと日なたのさかいめに

ぼんやり白く立っていたにすぎないことを



ふたたび食欲のように歩き出す振出し点に

まっさおな距離の前に

シャワーをあびた後のように

立っていることを

知る






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妙な晩 [町のノオト]




   妙な晩


なんという晩だろう

なまあたたかい風が遠い国の星や真夜中の出来事を連れて

波止場からのぼってきて

それで町はこんなにひっそりしているのだろう



大きな帽子を目深に被り つばの奥からのぞいている眼に

古い水平線を傾けた人が

横路や倉庫のうしろに迷いこもうとする

自分の影を犬にくわえさせて

石疊を真直ぐこっちにやって来るのだ

死んだ子がそのまま大きくなって 通って行くのだ



彼は死んでからどんなに

子供達の知らないさびれた国や

深い海のよどみをくぐりぬけ

そして人々の心のかげりを通ってきたろう

そこでどんなに沢山の事を憶えてきたろう



子供達にはそれが見え

彼の眼の中の景色が読めるのだ

それで蒲団中にはみだしてしまった夢の中でおびえているのだ



しかし大人達には

星が移る頃まで内職している母親にも

火見櫓の上で眼をさましている貧しい父親にもそれが見えな

 い

ただ 時々妙な気配を背筋近くに感じて

思わず眼をあけ 息をころして不安そうに

自分の背中を見まわしているだけなのだ



そして夜が明けてみると

また子供が一人見えなくなっていた








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