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雨の男 [詩]





   雨の男


わたしのなかに雨が降りはじめる

荒涼としたわたしの世界の果てから

降ってくる



すると見えない男が雨のなかにはじまる

彼は 乾いたわたしの精神の領域に

ゆるいカーヴを描きながらやって来る



彼の姿は いちめんの雨のなかに消え

彼の足音は しめった雨の音に重なり

彼の顔はーーとりわけ

そのあたりに激しい降りようをしている雨脚のために

暗く消されている



しかし 雨のなかで

彼の眼は大きく見ひらかれており

彼の聴覚は深く澄んでかわいており

彼の嗅覚は遠い先の予感をかいでいる



雨は 乾いた大地と深い空に降る

彼の嗅覚は遠い先の予感をかいでいる



わたしの手がこぼしたものを受け止めるため

わたしの眼が見落としたイメージを現像するため

わたしの耳がのがした声を拾い集めるため



彼の現われようは 何の先触れもなく

いつも不意だ

雨が思わぬ時に降ってくるように



(歩いているわたしにおとずれる

路を曲ろうとして傾むきかかったわたしに不意にやってくる

立ちどまると ふりかえるひまもなく

彼はわたしを追い越してゆく)



だから わたしは

わたしのなかに拡げている海をしまうことも

わたしのなかに立つ木をしまうこともできない

夕焼けや翻っている旗を

わたしの乾いた言葉を とりこむこともできない



彼はーー雨は

ひと時そうして

わたしの「生」の全領域を濡して降りつづいたあと

やがていつともなく降り止んでゆく

雨のなかに見えない男が消え

見えない男のなかに雨が消える



そして雨がところどころに水溜りを残していくように

見えない男は わたしの手の中に墜ちた小鳥を

それからわたしの精神の途上に まだ消えない体温と

わずかな血と悲しみを残して

遠く 一層遠くわたしの内部へ晴れあがる














 「詩学」 S42年 9月号
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