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子守 [詩]




   子守


夏の蔭の中を通りぬけるように

血ぬれた両手をぶらさげたまま

死んでいる他人の心の中を通ってきた

何の話し声もきこえなかった

コオロギさえ鳴いていなかった



ただひんやりしているだけだ

そのつめたい空気の中を

誰にも気づかれずに

裸足でゆっくり歩きながら

他人の泣声の中で とり返しがつかない程

長い間忘れていた自分を

とりもどそうとしていた



背中にくくりつけたまま 泣声をたてない赤児は

喉の奥までひらいて

もうひろがることのない夢が 冷えている

わたしの頭は変に澄んでいる



くらくらと息ぎれるのをおさえながら 歩いていくわたしの

はすに切れた眼の中には

咲きほうけた野の中を 地平に走る一本道があるだけだ

ふるさとへの距離を断ちきっていた濃い海も越えて

誰も住まぬまま そこに置きざりになっている 自分の泣声

 の中へ

帰っていく道があるだけだ









 「詩学」 S31年 8月号







タグ:子守

バス [詩]

 



   バス


 ところどころで停まりながら そして また

思い思いの新しい乗客をひろいながら バス

は きりった山肌や干上った河底や 昔

海だった地層の表面や 傾むきあった街の翳

りの底を そしてそれたの景色がプリズムの

ようにくり違いあったぼくらの記憶の屈折の

中心を 体をゆすりながら 片側に陽をあび

 時に海の色をてりかえしながら のろのろ

と走りぬけていった。まるでゆき先がわから

ないもののように、何時までもひと処に動か

ずにいるように 時々あともどりさえしてい

るように しかし決してあともどりなどせず

 一つ一つの景色をまちがいなく曲っていっ

た。どの窓もどもの窓もぎっしりの人だ。吊革

という吊革はつるさがれるだけつるさがって

いる者たちの 手垢と体重とで重くずり落ち

 人々の胸の中でゆれていた。それにさえも

つるさがれない者たちは 鮫皮のように逆だ

ち荒れはてた 人々の皮膚の間にはさまって

 よろめきながら 足に全身の血をよどませ

て わずかに「自分」を支えていた。窓ガラ

スはほこりで 雨滴のぶちぶちの跡で そし

ていろんな匂いのまざりあった人いきれとで

二重に いっそうきたならしくよごれていった。



 窓の外の景色をぼんやり眺めているひまな

どなかった。ゆすぶられ 傾むきこみながら

 人々は海の底のようにまbしゅくくいいがっ

た景色の間を のびちじみしながらすりぬけ

てきたのだ。それをみんながこぼしそうにし

ながら それぞれの薄さや濃さで自分の中心

にためていた。ためていたけれども 時々瞳

からはずし 記憶でぬぐい スライドのよ う

にすかして見ることはしなかった。みんな疲

れていた。それに何時また降りてゆかなけれ

ばならないか。何処でおろされるかわからな

かったから。もう何回降ろされそうな目にあ

ったかわからないくらいだったのに。お互に

そのことをくどくどと話しあったりした。そ

してお互の回数が人々をなぐさめているよう

であった。



 本当は誰にもわからなかった。何時乗って

しまったのか どうして乗っているのか 誰

がバスを運転しているのか そしてどうして

降り てゆかなければならないのか。多くの人

達はしかし わからないままにそんなことに

はなれてしまった。

二十億光年という遠い距離にも星があって

どんなに走ってみても人間にはゆきつけない

 ということが若者たちをかなしませた。彼

らは時々 半分はあきらめながらも ガラス

をぬぐい 遠い夜空をすかして見たりした。

そのために夜どうしおきている者もいた。自

分にもよくわからないままに ふとバスから

降りてゆく者もあった。そしてみるみるうち

に地平のはてに消え去っていった。

あまりに沢山のいろいろなことを見てきた眼

を 今はしずかにつぶりながら 老人達もゆ

すぶられていた。どんなに心をゆすってみて

も もう何の物音もしなかった。反芻する黄

色い水もたまっていない。彼らの魂は 乾き

きって底の方に小さく沈んでしまったフィル

ムのような景色の中で 降りてゆく順番だけ

を待っていた。彼らが貧しい景色と一緒に降

りていった後には すぐまたその次に降りて

ゆかなければならない老人が坐った。そして

次々と降りていった。ふと とりかえしのつ

かないような不安に 自分のまわりを見まわ

した時 今迄元気に話しあっていた親しい者

たちの姿が見えないのに 人々はおどろい

た。そして何時の間にか 自分も座席に坐っ

ているのに気がついた。彼らは思い出したよ

うに忘れていた自分の齢をかぞえ出した。す

ると潮のように かなしみがいっぺんにおし

よせてきた。



 夕ぐれと朝あけとがいつも変らないように

 窓ガラスを透してやってきた。夜はほのあ

かるい電燈を低い天井にともした。そして人

々の心臓から道のりを少しづつ 少しづつき

りくずし 潮が引いてゆくようにひきあげて

いった。その潮の満ち引きのはてから 皮膚

の匂いの新しい若者たちがやってきた。みな

ふりむきもせずにかけてきた。「バスに乗り

遅れるな」という合言葉を 声に出さずにく

り返しながら。しかし沢山の乗り遅れる者た

ちがいた。ステップに片足をかけたままふり

落とされる者もいた。無理やりにひきずり降

ろされた者もいた。乗り遅れた者たちはみな

涙をいっぱいためてバスを追いかけてきた。

けれどもそのためにバスは停まることはしな

かった。彼らはあきらめきれず 道のへりに

立っていつまでも 遠ざかってゆく後姿を見

送っていた。そしてバスが道のはずれを曲っ

ていってしまった時 垣間見た空や野や空気

の色を そこをきりぬけて行ったバスの姿を

 小さな胸に沈ずませたまま 再び土の中へ

還っていった。



 降りてゆく者と乗ってくる者と入れ替りし

ながら しかしバスは次第に混んでいくよう

であった。あまり混み方がはげしくなると

運転手はスピードを出し車体をゆすった。人

々はふり落とされまいとして必死でしがみつ

いた。そして其処此処で喧嘩がおこった。そ

れは次第に拡がり お互に人間同士であるこ

とも 乗り合わせた者同士であることも 運

転手をこらしめなければならないのだという

ことも忘れて争った。多くの者たちが傷つい

たり死んだりした。そしてそれは多く若者た

ちだった。やわらかな皮膚に沢山の鉛の弾を

うちこまれ ずっしりとつめたい銃をひつち

ょったまま 悲痛なさけび声を残し ふり落

とされていった。

 やがてもとのしずけさに返った時 人々は

窓から体をのりだして ふり落とされていっ

た若者たちを追憶した。しかし多くの人たち

はそれすらもじきに忘れてゆくようであっ

た。ただ母親だけが 吊革につるさがったま

ま いつまでもいつまでも悲しんでいた。し

かし それらのすべてを乗せたまま バスは

 ゆるゆると一つの景色から一つの景色へと

 間違いなく進んでいった。

















「詩学」 S30年 12月号







タグ:バス

愚かなる乙女 [詩]

  


  愚かなる乙女

       ここに処女(おとめ)みな起きてその燈火(ともしび)を整え

       たるに、愚かなる者は慧(さと)きものに言う

       「なんじらの油を分けあたへよ、我らの

       燈火きゆるなり」

                           ーーマタイ伝第二十五章


空一面からふりおちた火山灰の重たさに埋づ

 められ

またその底から掘り出されたポンペイの市。

雨にもみゆすがれ 風に吹きくずされたギリ

 シャ ローマ。

それら古代の石の都市。

半開きの窓ガラス。ころがっている壺。

闘牛場。はりめぐらされた白い石だたみの

 路。

円柱の間からのぞいている空。いってしまっ

 た神話。

しかしふりおとされたまま

立ちあがらない人々と共に

古代の瞳孔にしみこんでいた空も海も

同じ色では もうふたたび 

たちあがらない。



それなのに君は 時間からとりのこされ

古い世界の真中にぽつんとたたずみ

すすりあげている。

君のわきを通りぬけながら

君を見てわらったものも

もらい泣きしたのも みんな

つれだってそっくり地平の向う側へ行っ

 てしまったのに。

道のはづれを眼の前にして

君には歩いて行くことができないのだ。



道のはずれから 君にむかって

ゆれながらやってきた

はじめてのともしびの

不思議な色のおどろきに

瞳をあんまりみひらきすぎ

心を傾むけすぎたので

あんなにも長い間 皮膚でくるみ 大事にかか

 えていた壺をころげおとし

ためていた「あぶら」をこぼしてしまった。



キリストの蒼い横眼が 君の心をのぞきこみ

十字架の影がななめにおちかかった。

キリストは男のつめたい吐息で

ともしびをふき消してしまったのだ。



その時から二千年もの長い間

重たい地層の底をしみとおりながら

フィルムのようにつたわりめぐっている

すすりあげの声よ。



あんまりこみあげたので

君の心にはなんにもなくなってしまった。

もう涙もたまっていない。

すき透った うすい皮膚の中に

もみ消された白いローソクが一本

そこから足跡のつけられていない道が

乾いてひろがっているだけだ。



ふき消されたともしびは もう

ふたたびもえあがらない。

君のゆがんだべそかき顔は もうふたたび

ゆるむことがない。すすりなきの声は 再び

 たぐりよせられしまわれることがない。

こんなにたくさん涙がながされたのに

空はもとの色にぬぐわれない。

飢えたほこりっぽい色で

窓ガラスは 水平線をうつさない。



ああ あれから何回となく秋がやってきて

背骨のうしろの景色をかき変えていった。

古い背景に二重すかしに重なる新しい背

 景。

やがて それは浮きあがってきて 

古い景色をもみおとしてゆく。



君をこらしめたキリストも 今頃は

十字架からそっとぬけ出し

どこか遠くの木蔭に 異邦人のように

蒼白い身を横たえながら

君をとっくにゆるし

自分を恥づかしんでさえいるのに

君の心におちかかった十字架も 今は 

せりあがった尖塔のいただきに

螢光燈で小さくゆれているのに

君は何時までも 正直に立ちつくしたまま

体全体ですすりあげられている。



何がそんなにかなしいのだ。

何がそんなに君を

ぬぐいきれない傷できずつけたのだ?



「愚かな乙女」よ。

また君のすすりなきが尾をひいて

耳の底にきこえてくる。

そのいいべそかき顔がはっきり見える。

日本中の女の心の奥にも

立ちつくしている

「愚かな乙女」よ。





                 




 「詩学」 S30年 11月号





 雑誌では、慧(さと)きもののふりがなが愚かなの所にまちがってあり、マタイ伝二十五章が二十九章に間違っています。

地層Ⅰ [詩]



   地層Ⅰ

    三畳紀層。侏羅紀層。白亜紀層。
   
    第三紀層。第四紀層。


 古い街がそのまゝの姿勢で 地層の底にし

ゃがみこんでいた。窓ガラスに 生きている

地表の人々の記憶からそれていった 遠い

健康な夕焼けや海の色をうつして。



 通りの軒並びはどの戸口もどの戸口もうす

暗い口をあけたまゝ 出かけて行った若者た

ちは とうとう帰らなかった。(きっと何

処か遠い国のくさむらの根陰で ほんのひと

休みのつもりで休んで いるのだろう。)



 灯の消えてしまった つめたい部屋の中で

は あみものをしつゞけながら娘たちがい

つまでもその位置に耐えていた。「明日」が

また 地平の空のあたりから 突然始るまも

のと信じきっているかのように。



 笑っていたものはそのまゝ声もなく笑って

 いた。

 泣いていたものはいつまでも泣きつゞけた



 (地表では 彼らがくりかえしたと同じよ

うなことがくりかえされ または くり

かえされようとしていた。)



地層はやがて次第に厚さを増していった。









 「詩学」 S30年 9月号








 [詩]

  


   声


 夜が更けるにしたがって その声は いっ

そうはっきりと皮膚にせまってきた。それは

 自分の重たさに傾むきこみながらまわって

いる地球の きしむ物音でもなかった。地層

をほりさげた遠い深みから 地表の斜面を棒

杭のように列んで歩いてゆくぼくらの足うらを

つたわって じかに心にしみとおってくる

 つめたい液体のようであった。

人々はそれが何処からやってくるものか 誰

が何を云おうとしているのであるか 心の底

ではみんな知っていた。知っていたけれ ども

 誰もそれを口に出して云おうとはしなかっ

た。言葉にうつそうとすると きまってどこ

か云いおとした云い足りないところが出てき

そうで どうしてもそっくりうまく云いあら

わすことが出来なくなってしまった。その不

安が人々の口をつぐませた。



 けれども何も云わずにじっと耐えているこ

とは もっとかなしく もっと重たいことで

あった。

重たさに耐えきれずに、時々 口ごもりなが

ら何か云おうとする者があった。けれども云

おうとすることをす っかり云いつくさないう

ちに 何処かへ連れ去られていった。そして

もう帰ってはこなかった。



 どっちかに決めなければならない。ためら

っていることは許されないことだ。人々の多

くは だまってうつむいたまま何処へ行くの

か 何処まで行けるのかわからないけれども

 ともかく行きつける処まで行こうとしてい

た。つまづくことはたまらないことだ 連れ

もどされることはもっとたまらないことだ

妻も子もいるのだから。それが生きるという

ことなのだ。みんなそう思ってい るようであ

った。そうして次第にあの声を忘れていっ

た。忘れたふりをしてあきらめていくようで

あった。



 あきらめてはみたけれどもあきらめきれな

い何かが 汐の干いたあとの乾ききらない泥

のように 体の何処かにどうしても残ってい

るようであった。やがて泥の層は次第に厚さ

を増し 拡がっていった。あきらめきれない

自分が其処に足摺りしながら立ったり座った

りしていた。そしてあの声が、夜の深くなっ

てゆくにつれて、いっそうはっきりと皮膚に

せまって聞えてきた。



 声が 声をしぼり出させる何かが その声

を乾ききった喉の底におしこめている何かが

 人々の体を内側から次第に蝕ばんでいっ

た。人々の瞳の奥に暗い蔭がおしひろがり

腐画は背景の色を変えていった。疲労が肩

に重かった。人々は前のめりに次第にねじま

がっていった。ついに背景が大地とぴったり

くっつきあった時歩こうとしてまだ歩かない

沢山の道のりを残したまま 人々は地表から

消えていった。だが体をなくすと同時に 生き

ていた頃にはどうし ても口にあらわせなか

った声が、口をついて流れ出していった。そ

してあの遠くからきこえてくる長いながい声

の列にくわわって 地球をつつみ 生きてい

る者たちの皮膚にせまっていった。











 「詩学」 S30年 8月号








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深夜放送 [詩]

  


   深夜放送


雨滴がつたわってくるように それは

眼に見えない電線の中をとおって

しっとりと 皮膚全体からしみとおってきた



それはどんな言葉で話しかけてくるのか。

足音もせず

どんな表情でぼくらの底へおりてくるのが。

そしてそれをしゃべっているのは誰だろう。



にんげんたちからふり落ち、

穴だらけの舗道を傾むきながら横ぎり

すりへった石塀に沿って曲っていった

にんげんたちの

疲れに重たくふくらんだひるまの言葉が、

地層の底深くに吸いこまれてゆき、

今日最後の尋ね人のアナウンスも

ローソクがもえつきるようにしてふき消え、



さらに深い夜の底へ地球全体が

大きく傾むきこむころ、

どこか遠いはずれから それは

ゆれながらやってくる……



それがどこの国の言葉かぼくらは知らない。

どんなに遠い道のりをやってきたのかも

ぼくらは知らない。

けれども



ぼくらの眼から、

口から毛穴から。

人型の中へ

それとそっくりの人影がしのびこむようにし

 て、

それは入ってくる。

やがて大きくゆれながら

ぼくらの体の大きさにまでひろがってゆき、

ぼくらからそれははみだしてしまう。



長くながくつづいてきたにんげんの歴史。

口の遠い道のりの途中で 風から

にんげんの灯(ともしび)をまもって、

土に還っていったたくさんの人たち。

ーーその人たちのそれは言葉であるかも知れ

 ないのだ。



心を傾むけてぼくらはらく。

それをしゃべっているのは誰であるか。

そしてそれは何を言をうとしているのかを。



雨滴がつたわってくるように 今夜も

それは

どこか遠い宇宙のはてから

ぼくらにむかってやってくる。






 「詩学」 S30年 7月号









タグ:深夜放送

伝言板 [詩]

 


   伝言板


 ふるえる指さきで一つ一つ

書きかさねられていった厚ぼったい文字が、

重くはげおちる。

壁がはげおちるように。



 真夜中の構内は大きな欠伸をして

地球の夜をのみこむ。

その乾いた喉のむこうに、闇よりも黒々と

たっている伝言板。



 そいつがたち去ったあとで、

また、ひょっこりもどってきて、

長い影をひいて、たっているそいつの影。



 はたされなかったかずかずの約束。

のぞき見た穴よ。直角にそれていった人生が

遂にぶつかりあうことなく暮れてしまった

軌跡のさきで、思い出す伝言板よ。



 あすになれば、また

そこを心疲れた人々の群が、

白いカーヴをえがいて通りすぎる。

何かをふりおとし、すりへらしながら。



 息子を待ちつくして暮れた老母の

しょぼしょぼの眼がコンクリートの底から

それらの重い人波を、人波のうしろの

うす暗いけはいを。ぼんやりながめている。


 誰からもわすれられた息子の体は、

遠い南の海岸で、

何年も何年も前からの同じしぐさで、

白く波に洗われて、



 もうなんにもなくなってしまった

からっぽの頭骸骨の地平線には、

枯ススキのようにぼんやりと、遠い昔の伝言

 板の記憶が、

傾むいている。









「詩学」 S29年 12月号










タグ:伝言板

 [詩]

  


   道



 丘がきりくずされて、

道がつくられた。



 重たい地層の底から、

ぼくらと違う人間の骨が掘り出され、

それはきれいに洗われて、

標本室のガラスの戸棚にしまわれた。



 あたらしい道のはてには、

いままで見えなかった遠い景色がみえ、

その向うではかすかに海がひかった。

さらに、海のかなたには

白いビルのたちならぶ外国の街があるとゆう



 たそがれはそれらをぼかし、

秋はいっそう 街路樹の枯枝の間に、景色を大

きくみせた。



 その道をいろいろな人が通り、

彼らはみな遠い景色をながめては、

ふと、此処から掘りおこされた人骨のことを

思いうかべ、

ーーそしてもうおたがいにあうことがなかった。



 道はやがて、草におおわれて消えた。

そして、また何処か地球の一角がきりくずさ

れて道がつくられ、

いままで見えなかった景色がそれらの果てに見えるようにな

った。



<沢山の骨がうずめられ、それらは、ほと

んど掘りおこされずにそのまま朽ちて地層に

なった>



 夜になると、

こうしてつくられた地球のすべての道のはて

に、

火星があかくもえた。







 「詩学」 S29年 11月号





 嶋岡 晨先生が、編まれた、『心にのこる日本の詩 』(講談社 青い鳥文庫)にも収録されています。




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或る神話 [詩]

 


   或る神話


 はりつめてさけたゴム風船のように、

     神話は、高い空で音もなくわれた。



 弾力をなくした影は、しぼんで、しわだら

けになって、だれも通らない裏路に、吸殻の

ように捨てられて干上がった。



 ちりぢりにふき散らばった天使たちは、空

をながれ、あまりのしらけきったあかるさに

とまどい、やがて、ブイをうしなって、火粉(ヒノコ)

がふりおちるように落ちてきた。



 ブリキできりとられた心のあとの、

うすらあかるい水平線にさびた軍艦が傾むい

て浮かんでいる。



 空氣も動かない。

雨も、もう降らないのだ。

地球の内側はぶつぶつにねばり、無數の糸を

ひき、ぷんとあまずっぱい匂いがしだした



 蔭はね、あまりてりつけられた重たさで、

ひびわれて、はげてしまったんだよ。



 長い石塀を曲って行ってごらん。

干あがった泥海で太陽が粘液のように汁をか

いて

罐詰のあきかんといっしょに腐っているから



 たちならぶ木の枝々は何者かにへし折られ

て、

傷口は、雲の浮かばない空にむかって、いつ

 までも真空の口をあけている。

鳥影はそこからもう飛び立たない、

眼球をくりぬかれて、小さくしんでしまった



 一體、あいつはだれなんだ!

何者なんだ!

土管のようにころがっている屍の、動かない

視野の底を、

血だらけの手をぶらさげて、

横眼で影のように通り過ぎていった奴はーー



 神話をなくし、

白い羽根をもぎとられた天使たちは、

たそ がれのこない街角にたちつくし、

そいつの後姿をみつめたまま、顔をひきつっ

て、

電信柱になった。








 「詩学」 S29年 10月号







タグ:或る神話

黑人靈歌 [詩]



   黑人靈歌



はるかな

いちめんの雨のように

黑人靈歌はうたわれているだろう



ぼくらの知らないとおいお國で

ぼくらの知っているぼくらの國で

そしてぼくらの心のはてしない曠野で



みえないくさりに手をしばられ足をしばられ

不毛の曠野をもくもくとあるきながら

雨のようになげきながら

雨のようにのろいながら

雨のように死につきながら……

かれらの唇(くち)からにじみでる黑人靈歌



それは

雨のように地球をつつみながら

雨のようにしめりながら

雨のようにふるえながら

ぼくらの心にしみとおってくる



死んでいった黑人たち

生きている黑人たち

これから生れてくる黑人たち



きえていった黑人靈歌

ひっそりとうたわれている黑人靈歌

これからもうたわれるであろう黑人靈歌ーー



かれらのくるしみ

かれらのなげき

かれらのかなしみ

かれらのせいいっぱいののろい……



地球に重い雨はふりしきり

ぼくらの知らないとおい國を

ぼくらの知っているぼくらの國を

そしてぼくらの心のはてしない曠野を

暗い黑人の列は過ぎてゆく



とおい地平をみつめながら

しめった大地をうつむきながらーー



はるかな

いちめんの雨のように

今も

黑人靈歌はうたわれている






 「詩学」 S29年 2月号




タグ:黑人靈歌

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