SSブログ

サイレン [町のノオト]




   サイレン

        ーーサイレンを鳴らす人の子


サイレンを鳴らす人は 何処に住んでいるのだろう

サイレンは叫びなのだ

サイレンを鳴らす人の喉は

赤くただれていようか



家事が燃え上がるようにして鳴りだすと

空は 古びた工場だけをとり残して 地平からずれ

そのすきまから 不思議に深くつめたい眼がのぞく

(あのむこうに 夜更けと一緒に

サイレンを鳴らす人はかくれているのだ)



すると僕らの町は長い影を曳き

工場のトタン屋根がふるえはじめる

人々の耳は白い表情を残して顔からちょんぎれ

手のとどかない町はずれで おびえたようにきき耳をたてて

 いる



そん中をサイレンに追われるようにして

ひるま見えなかった大人たちが

弁当箱をさげて何処からともなく帰ってくる

大人たちもサイレンを鳴す人を恐れているのだ

彼らの背中が寒そうだ

だがサイレンを鳴す人は姿を見せない

僕の父が帰ってこないように



あの人には帰っていく子供がないのだろうか

いろりの火は燃えていないのか

決して笑ったことはないのだろう

独りでどんなに古い夜を知っていくか



やがて 寒い夜が

誰も人影のない工場の裏路を白い息を吐いて通って行くと

犬がしきりに遠吠えしはじめる

きっと誰にも姿を見せたことのないあの人が

地平のはずれからこっそりとやってくるのだ

眼はいっそう 夜にゆすぎ出され

眼じりが霜にくずれて赤く切れているだろう



そうして遠吠えが次㐧に近づき

やがて僕の家の前でとまる

あの人が窓ガラスの破れから

つめたい眼でのぞいているのだ



僕は恐ろしさに声をたてようとする

するといつの間にか 父は

僕の横に 帰ってきているのだ






タグ:サイレン

聴覚 [町のノオト]




   聴覚

      ーー向日葵


土の底の静寂からはえて おれは

しんとした夏の空の深さの奥に

首筋をのばし

すき透った聴覚をひんやりひらく



しんとさえきった底から 一つの鋭い叫び

泣きじゃくり次の瞬間やんだ声を

きいたように思ったのだ



ひっそりした季節のむこうに 空は深く

記憶のような町や村の午後は しずまりかえり

どの町どの村にも 紅い花々が咲き狂い

消毒された白い病院は空の中にくっきりと

犬の舌 つめたい眼が蔭の奥でひえていた



だが俺はその時すでに

何事もなくしずまりかえった 病院のうしろ

紅い花や犬のぬれた舌眼玉のむこうに

蔭のようにひそんでいる歴史の声をきいた

すべての しずけさの中で行われる悲惨を

おびえる人々の唖のような表情を見た



薄くかすかにふるえていた俺の聴覚は

位置を定めてひらききり

渦巻形をした俺の耳底に

空の深さはそのまましみとおり

鋭い叫びはいっそう鋭く

季節のむこうからきこえてきた






タグ:紅い花 聴覚

 [町のノオト]




   夕


町並のかげりにかこまれた白く低い路が

いっそう沈みながら遠くへ延びる

家々は 窓だけ切りぬき残されて 道といっしょに遠のき

まだ灯(ひ)のともらない部屋の底で人は 

眼に見えない不安に姿を変え

嘘に違いない幼い頃の人さらいの話と共に

誰かに連れていかれてしまった家族のことを思い出しながら

毎夜路のはずれからやってくるものの気配に耳をすましてい

 る



丘の上に立って

泣いていた子の 風の眼のような泣声も

あきらめたのだろう

しかしもしかしたらその子といっしょに

丘が吸いとってしまったのだろうか

もう聞えない



やがてその背中で 残りの光をさえぎりながら

自分がかくしてしまった向側のひろがりと町について

泣いていた子の行方について そして

地層が憶えている古い国や路の記憶について

丘は 路のはずれから

白くしずかに語りはじめてくる






タグ:

ノオト Ⅲ [町のノオト]




   ノオト Ⅲ


 人  人

白うさぎ [町のノオト]



   白うさぎ

          ここにイナバの白うさぎ

          皮をむかれて赤裸 ーー童謡


ほっといてくれ

誰も 俺にさわるな



心にまでしみとおる空の深さも

よどみを浪立たせる澄んだ風も

かすかなほこりをたてていく時間も

俺の肩から足元にすべり落ちた

くっきりした影の輪廓を ゆらし

ひんやりと地の底へ吸いこまれていく水の記憶も



あまりにもまぶしいはずかしさだ

あかるさの中で 俺は痛いのだ

俺は皮をひんむかれ

ふるえあうのをやっと合せた手の形に

立たされている むき出しの良心なのだ



空よ 空よ

そんな青さで 地平線の上におりてくるな

肩の上の深さが身にしみる

俺の立っているすき間がない

身をずらせるすき間がない

足摺りすることも出来ない

俺は真空も残さずに くずれそうだ



ワニザメ ワニザメ

俺は君をあざむいたりしたんではなかったんだ

だましっこしたあと みんな無邪気に

顔を見合せて 笑いあおうと思ったんだ



ワニザメ ワニザメ

俺の皮膚をひっぺがし

皮膚の下に海のようにねむっていた

俺の良心をめざめさせてしまった時

君の顔のむこうから

さびしい顔がかけだしてきたね

俺はのぞいてしまったのだ



その時初めて俺は

本当に君をあざむいたことに気がついたのだ

それから俺は あの時のままで

ずうっと此処に立ちつづけているのだ

(人々の涙の中で 耳をたれ

両眼をこすって立っているのは俺ではない)

言いそこなったひと言がみっかった今も

わびる相手の姿が見つからぬままに



オオクニヌシの命が 通りがかりに

すずしそうな言葉をかけてくれたが

俺はみむきもしなかった

一度眼ざめた良心を

ねむらせようなどとは思わなかった



ワニザメ ワニザメ

もう一度かえってきてくれ

澄みきった空に 白い線を描いた脚のバネをかえしてくれ

草にこすりつけた柔かい肌を着せてくれ

もう一度俺を遊んでくれ そして

俺にたったひと言本当の心でわびさせてくれ



だが走りよろうとすれば

ひっぺがされた肉の肌につきささってくる

砂利まじりの乾いた砂浜が

ひろがっているばかりだ



そして俺は知っている

ガマの葉の向うに のぞいている海には

ワニザメはいないのだ

ただ海の深さが 底まで沈んでいるだけだ








ゆめ [町のノオト]




   ゆめ


ついねすぎてしまった

誰も起してくれなかった

病気のような色をした夢が 記憶の中へ遊びにきた

俺はその柔らかい 雨あがりの草の上で

亀と仲良く遊んでいた



ーーぼくが遅いのはあたりまえだ

亀は俺に話した

俺は無邪気にその通りだと考えた

亀にも俺にもどっちだっていいことなのだ



澄んだ風が俺の長い耳をそよがし

夕焼けは遠く美しく

海は古代の色をしていた

僕らは人間の意地悪さを話しあっていた



眼をさましてみると 誰もいなかった

あまり大きすぎる空間が しんとしていた

はずかしがっている亀のことを思うと

亀を裏切って負けたことが

なおさびしかった



俺が山のふもとまで行くと

まともに俺を見られなくなった 亀は

負けることが当然と考えていたのに

勝ってしまったことに

涙をぼろぼろ流していた






タグ:ゆめ

モナ・リザ [町のノオト]



   モナ・リザ


     Ⅰ



わたしは背景からぬけ出してここまできた

わたしの半身は 外に

こぼれかかっている

もう半分を そこへひきよせれば

背景だけを残して

わたしの姿を切りぬく 空の奥ゆきの中へ

ぬけ出すこともできる



だが空気のつめたさに触れる

ぎりぎりの接面で 不意に

立ちつくしてしまったのだ



ここに立っているのは一人の女 いいえ 

支えを失なったつかれた母親はわたしなのだ



戦いが息子をうばっていった時

わたしが貧しさの中で見失っていた

若いわたしが 不意に

浮かびあがって かけだしたのだ

それを追いかけてここまで来た



どんなに走ってみても

後も見ずにかけていった若いままのわたしに

追いつけなかったわたしは とうとう

途中からあきらめて

ひき返そうとしたのだ そして

わたしはもう ひき返すこともふみ出すことも出来ぬままに

ここに立ちつくしてしまったのだ



走りながら 虚空にむかってさし出されたわたしの手は

置きどころがなくなり

かくしようのないさびしさをかくすためのように

片手で片手をおさえ

とりもどせぬあせりとひえきった悲しみに

走りながら ひきつれ 青ざめていったわたしの顔は

やがて ゆがみ

そのまま あざ笑いに変っていったのだ


    Ⅱ


そこをどいてくれ

わたしの前に立ちはだかっている者たち

不審と疑惑の眼ざしでわたしの「女」の線を洗っている者たち

わたし自身に気づこうとせず

わたしを 背景の眺望をさえぎっている黒点としか思わぬ者

 たち

わたしの存在の裏側に「永遠」を夢み

わたしの背中にさぐりの眼をしか入れられぬ者たち そして

わたしにむかって「そこをどいてください」と言っている者

 たち



君らこそ去れ

わたしはここにはいない

ここに立っているのは わたしの疲れた影だ

いや わたしを形どる絵具が脱落しても

ぬぐい去れぬ記憶のように動きもせず

君らの後に とり残されて立っている実の母親なのだ



ああ わたしの背中がかくしているのは

「永遠」なぞではない

息子を奪われた怒りが

さびしさにまでひえていくのにも耐えた長い時間だ

埋めあわすことのできぬ穴だ

わたしの手がかくしているのは

かけ出して行ったわたしに 追いつけなかったむなしさだ

そしてわたしの「謎の微笑」がかくしているのは

「女」ではない

わたしをこの位置からさえつれ出そうとする者たちの さそ

 いを

きびしく拒絶した 声のないあざわらいだ







タグ:モナ・リザ

愚かな乙女 [町のノオト]

   愚かな乙女

          ここに処女(おとめ)みな起きてその燈火(ともしび)を整えたるに、

          愚かなる者は慧(さと)きものに言う「なんじらの油を

          分けあたへよ、我らの燈火きゆるなり」

                           ーーマタイ伝㐧二十五章


空一面からふりおちた火山灰の重たさに埋ずめられ

またその底から掘り出されたポンペイの市。

雨にもみゆすがれ 風に吹きくずされたギリシャ ローマ。

それから古代の石の都市。

半開きの窓ガラス。ころがっている壺。

闘牛場。はりめぐらされた白い石畳の路。

円柱の間からのぞいている空。いってしまった神話。

しかしふりおとされたまま

立ちあがらない人々と共に

古代の瞳孔にしみこんでいた空も海も

同じ色では もうふたたび 

たちあがらない。



それなのに君は 時間からとり残され

古い世界の真中にぽっんとたたずみ

すすりあげている

君のわきを通りぬけながら

君を見てわらったものも

もらい泣きしたのも みんな

連れだってそっくり地平の向う側へ行ってしまったのに。

道のはずれを眼の前にして

君には歩いて行くことができないのだ。



道のはずれから

君にむかってゆれながらやってきたはじめての燈火(ともしび)の

不思議な色のおどろきに

瞳をあんまりみひらきすぎ

心を傾けすぎたので

あんなにも長い間 皮膚でくるみ 大事にかかえていた壺を

 ころげ落し

ためていた「あぶら」をこぼしてしまった。



キリストの蒼い横眼が 君の心をのぞきこみ

十字架の影がななめにおちかかった

キリストは男のつめたい吐息で

燈火をふき消してしまったのだ。



その時から二千年もの長い間

重たい地層の底をしみとうりながら

フィルムのようにつたわりめぐっている

すすりあげの声



あんまりこみあげたので

君の心にはなんにもなくなってしまった。

もう涙もたまっていない。

すき透ったうすい皮膚の内(なか)に

もみ消されたローソクが一本

そこから足跡のつけられていない道が

乾いてひろがっているだけだ。



ふき消された燈火(ともしび)は もう

ふたたびもえあがらない。

君のゆがんだべそかき顔は もうふただびゆるむことがない。

すすりなきの声は ふたたびたぐりよせられしまわれること

 がない。

こんなにもたくさん涙がながされたのに

空はもとの色にぬぐわれない。

飢えたほこりっぽい色で

窓ガラスは 水平線をうつさない。

ああ あれから何回となく季節は過ぎ去って

君のうしろの景色をかき変えていった。

古い背景に二重すかしに重なる新しい背景。

やがて それは浮きあがってきて 

古い景色をもみおとしてゆく。



君をこらしめたキリストも

今頃は十字架からそっとぬけ出し

どこか遠くの木蔭に 異邦人のように蒼白い身を横たえながら

君をとっくにゆるし

君をなつかしんいでさえいるのに

君の心におちかかった十字架も

今は せりあがった尖塔のいただきに

螢光燈で小さくゆれているのに

君はいつまでも正直に立ちつくしたまま

体全体ですすりあげられている。



何がそんなにかなしいのだ。

何がそんなに君を

ぬぐいきれない傷できずつけたのだ。



「愚かな乙女」よ。

また君のすすりなきが尾をひいて

耳の底にきこえてくる。

そのいいべそかき顔がはっきり見える。

日本中の心の奥にも

立ちつくしている

「愚かな乙女」よ。





                 



ソルベーグの歌 [町のノオト]




   ソルベーグの歌

           冬は去りて 春はゆき 春はゆき

           夏もすぎゆき 年くるる 年くるる

                        ーーソルベーグの歌



あたしは待っていました

ふるさとの庭の 柿の木蔭の下で

おまえと一緒にメダカを掬いに行った川面に

すずしくうつっていたあたしのままで

夕焼けのはずれから 一本道を遠遊びから帰ってきて

しかられて泣いたあたしのままで

小さな乳房が澄みきった空にくまどられて

白くふくらみはじめたままのあたしで



けれども おまえは

村の境い目の土橋を越えて

深い空の向うへ ふりかえることなく

どこかの人に連れていかれたまま

とうとうもどっては来なかった

切りぬき絵のようにあたしの瞼の裏に残された姿だけが

夕暮 あたしにむかって

空の中からうきあがってくる



おまえは あたしなど想像もできない

遠いにぎやかな町で

背中に子供たちの泣声を海のようにくくりつけて

自分の泣声を一度も泣いてみずに

つめたくひっそり生きている



あたしはこうして

おまえと別れた時のまま

庭の木の下から一歩も出ずに今も待っている

陽(ひ)があたしの影を

その奥でひろがらないあたしの春を

大地に描いたり消したりしていきました

そして あたしの髪は白くなりました



けれどもどうしたのだろう おまえは

おまえが出かける時 あずけていった泣声を

あたしは大事にしまって待っているのに

いつか大声をあげて泣く時を待っているのに



おまえよ おまえよ

あたしという「自分」を忘れてしまった

子守のあたしよ




深夜叢書 [町のノオト]



   深夜叢書


 すりきれた石疊の四辻を曲った向う ひっそり暮れた路の

はずれに信号のようにもえている灯(ともしび)を 暗闇がゆらしていた。

光は手元までとどかなかった。しかし手さぐりで紙の表と裏

をえりわけた。それは間違うことがなかった。祖国の山河が

すかしのように重なっているのだから。字づらを削り落され

た活字たちが深い夜の底の星のように つめたい鉛の肌を洗

われた時に 削らせることの許せぬ文字を活字工は刻んでい

った。そして自分の皮膚で字づらをえりわけ 闇の底で植字

工は綴りを間違えなかった。そこに愛する者の姿がきびしく

立ち ふるさとの河が流れているのだから。それを失う時

心のよどみから最後の綴りが 人間の名が消えていくのを知

っていたから。

 奇妙な沈黙の中に立ち つめたい処刑場の石塀を背負い

めかくしされたまま倒れてゆく者の澄んだまぶたに血のぬく

みがこみあげた。張りつめたこまくに消えることのない河の

流れがせまった。

 ふき消えてゆく灯(ともしび)の芯の音。

谺のような死のリフレインの中にうなだれずに立ち追憶す

る人々の深い影。流された血の色こわされた皮膚の数ふり落

されていった者たちの叫びの重たさ。それらが活字の背後を

流れてゆく。そしてその向こうに立つ人影の奥に新しく燃え

あがる炎の色。在るものの総てを静かに吸いこみ 深い夜の

底でえりわけた紙を活字がかんでゆく。鮮やかなしかし重いイ

ンクじみ。一つの綴り 一つの頁。それらが重なりあって流

れる深い流れ。やがて岸辺に立って姿をうつす者の為に そ

の底に そうあるべき そしてそうあった者の姿をゆすいで

いく。






この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。